2022.08.15(月)
8月15日も例外ではなく、「いろいろな今日」がある。
留守番の小学生は、独学の韓国語を自習して、すでに退屈している。
夫の新盆を迎えた初老の女性は、線香の匂いを隣人から注意されて少し落ち込んでいる。
休み明けの職場に急ぐ若い男性は、朝の電車の冷房がききすぎていて、少し頭が痛いという。
ベランダの花の水やりの頻度がわからずに実家に電話をした女性は、老いた母親の思いがけない返答がちょっと気がかりだ。
どれも平和な日常で、それでもどこかに不安や不穏の気配を忍ばせる。
そんな8月15日。
母の誕生日に、パープルのきれいな花柄のタオルとカードを届ける。
今年も「終戦の日」ということで、母の孫たちはちゃんと思い出して、ハガキを送ってくれたみたいだ。
ずいぶん会ってないんだけど・・・。
終戦の日の午後、空の雲は少し涼しげだが、まだまだやたら暑くて、すでに全身汗まみれ。
政治学者、千々和氏の主張。
「戦争はどう終わるのか」を深く考えるべきだ。
それを研究することは「戦争を容認することになる」と言われた時代もあったが、今はそんな批判は聞こえてこない。
むしろ「万一の事態を想定した議論をタブー視すべきではない。最悪の事態を『想定外』として具体的な検討を怠ってきた結果が、3.11での原発事故だったのでは?」と言う。それは本当に怖い。
終結の方法は、戦局の優勢側が主導する。その際、2つの形態に分かれる。
〇相手と二度と戦わずに済むように徹底的にたたく「紛争原因の根本的解決」
〇自国兵の人命などの犠牲を出したくないためそこまでいかずに妥協する「妥協的和平」
前者の代表例は、第二次世界大戦でナチスドイツと戦った連合国。無条件降伏で終わった太平洋戦争もこちらに含まれるという。
後者には、湾岸戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争など。
学問として戦争を取り上げる意味を理解しつつも、とりあえず「戦争を起こさないため」にどうすべきなの?と、そこにまだまだこだわってしまう私だ。だって、始めてしまったことを終わらせる困難は誰にだって経験がある。
それでも、長引くウクライナへのロシアの侵攻、そして、米軍が撤退したあとのタリバン政権下でのアフガニスタンの悲惨な状況などを見るにつけ、終わらせることに焦点を当てる議論にも目を背けることはできない。
そんなことをふっと考えつつ、今、久々におもしろい短編集に出会って、入浴後に最後まで読めるかな、などと呑気に考えている。
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