
「題名のない子守唄」 (2006年 イタリア)
●監督 ジュゼッペ・トルナトーレ
●出演 クセニア・ラパポルト/ミケーレ・プラチド/アンへラ・モリーナ
★実は乾いた映画だから、「子守唄」は不似合いでは?
私の大大好きな「ニュー・シネマ・パラダイス」の監督ジュゼッペ・トルナトーレの作品なんだと、今知った。ほかの作品を知らないから生意気なことは言えないけれど、「ニュー・シネマ・パラダイス」の湿度を取っ払ったような乾いた映像の連続だった。
いろいろ感じさせることはありながら、サスペンス映画の要素も濃い。
目を覆いたくなる残酷なシーン、怒りで体が震えるような暴力シーンも随所随所、主人公の記憶の中でフラッシュバックのように蘇る。
原題は「LA SCONOSCIUTA」。英語タイトルは「UNKNOWN WOMAN」というから、「見知らぬ女」「よそから来た女」というような意味なのか。
「題名のない子守唄」という邦題はどうなんだろう。主人公の女性イレーネがメイドとして入り込んだ家の娘テアに歌ってやる子守唄はたしかにその二人のつながりを感じさせる小道具にはなっているけど、この映画のテーマとしては弱いような…。また「子守唄」というコトバが醸し出すセンチメンタルな雰囲気は、この映画には不似合い。
★イレーネの中に棲むもの
なぜか記憶に残ってしまったシーン。
幼稚園で友だちの悪ふざけにやられっぱなしのテアをイレーネが特訓する。テアの両手の自由を奪って体をひもでしばる。そしてマットレスを部屋中に敷きつめ、テアの体を押して転がす。そして「起きなさい!」と。テアは必死でどうにか立ち上がる。そこをまた押し倒して、「起きなさい、早く起きるの!」。泣いていやがるテアを、そうやって何度も何度も押し倒すイレーネ。
テアを、かつて出産して理不尽に奪われた娘だと信じていると思えば、それは深い娘への母性だと思わせるけれど、エスカレートするイレーネのようすに違和感を感じ始める。高揚しているような彼女の表情をみているうちに、その中にある異常性をつきつけられたように感じたのは私だけじゃないだろう。フラッシュバックするかつてのイレーネへの暴力シーン。
テアが本当にイレーネが産んだ娘だと判明したとしても、彼女は本当にテアと生きていけるのか、普通にテアを愛せるのか、そんなことを問いつめている自分も怖い。
テアの周囲で二人の女性が「母になりたい」と必死で願う。その願いを縦糸に、過去から逃げられないイレーネのしたたかな強さを横糸にして、ストーりーがテンポよく進んでいく。
物語の最後まで、イレーネの過酷な過去は謎につつまれたまま、不気味な気配だけでストーリーを引っ張り陰を投げかけていく。
★イレーネとテアのその後
テアを演じるおしゃまな子役が魅力的。その彼女の際立った部分をそのまま引き継いで大きくなったテアが、イレーネの出所を迎えにくる。テアに気づいて微笑むイレーネ。
この映画で唯一、心が温かくなるシーンだったけど、そのあと二人はどんなふうに寄り添っていったのだろう。あるいはどんなふうに距離を保ちつつ生きていったのだろう。
それがなんとなく気になった。
●監督 ジュゼッペ・トルナトーレ
●出演 クセニア・ラパポルト/ミケーレ・プラチド/アンへラ・モリーナ
★実は乾いた映画だから、「子守唄」は不似合いでは?
私の大大好きな「ニュー・シネマ・パラダイス」の監督ジュゼッペ・トルナトーレの作品なんだと、今知った。ほかの作品を知らないから生意気なことは言えないけれど、「ニュー・シネマ・パラダイス」の湿度を取っ払ったような乾いた映像の連続だった。
いろいろ感じさせることはありながら、サスペンス映画の要素も濃い。
目を覆いたくなる残酷なシーン、怒りで体が震えるような暴力シーンも随所随所、主人公の記憶の中でフラッシュバックのように蘇る。
原題は「LA SCONOSCIUTA」。英語タイトルは「UNKNOWN WOMAN」というから、「見知らぬ女」「よそから来た女」というような意味なのか。
「題名のない子守唄」という邦題はどうなんだろう。主人公の女性イレーネがメイドとして入り込んだ家の娘テアに歌ってやる子守唄はたしかにその二人のつながりを感じさせる小道具にはなっているけど、この映画のテーマとしては弱いような…。また「子守唄」というコトバが醸し出すセンチメンタルな雰囲気は、この映画には不似合い。
★イレーネの中に棲むもの
なぜか記憶に残ってしまったシーン。
幼稚園で友だちの悪ふざけにやられっぱなしのテアをイレーネが特訓する。テアの両手の自由を奪って体をひもでしばる。そしてマットレスを部屋中に敷きつめ、テアの体を押して転がす。そして「起きなさい!」と。テアは必死でどうにか立ち上がる。そこをまた押し倒して、「起きなさい、早く起きるの!」。泣いていやがるテアを、そうやって何度も何度も押し倒すイレーネ。
テアを、かつて出産して理不尽に奪われた娘だと信じていると思えば、それは深い娘への母性だと思わせるけれど、エスカレートするイレーネのようすに違和感を感じ始める。高揚しているような彼女の表情をみているうちに、その中にある異常性をつきつけられたように感じたのは私だけじゃないだろう。フラッシュバックするかつてのイレーネへの暴力シーン。
テアが本当にイレーネが産んだ娘だと判明したとしても、彼女は本当にテアと生きていけるのか、普通にテアを愛せるのか、そんなことを問いつめている自分も怖い。
テアの周囲で二人の女性が「母になりたい」と必死で願う。その願いを縦糸に、過去から逃げられないイレーネのしたたかな強さを横糸にして、ストーりーがテンポよく進んでいく。
物語の最後まで、イレーネの過酷な過去は謎につつまれたまま、不気味な気配だけでストーリーを引っ張り陰を投げかけていく。
★イレーネとテアのその後
テアを演じるおしゃまな子役が魅力的。その彼女の際立った部分をそのまま引き継いで大きくなったテアが、イレーネの出所を迎えにくる。テアに気づいて微笑むイレーネ。
この映画で唯一、心が温かくなるシーンだったけど、そのあと二人はどんなふうに寄り添っていったのだろう。あるいはどんなふうに距離を保ちつつ生きていったのだろう。
それがなんとなく気になった。