隠れ家-かけらの世界-

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普通の朝の不気味~映画「エレファント」より

2008年04月15日 19時42分48秒 | 映画レビュー
映画「エレファント」 (2003年、アメリカ)
    2003年のカンヌ国際映画祭で、史上初のパルムドール&監督賞のW受賞

●監督  ガス・ヴァン・サント
●出演  ジョン・ロビンソン/アレックス・フロスト/エリック・デューレン



 映画の導入、並木道の静かな道路を1台の車が行く。カメラは後ろ上方から車を追う。
 不安定に蛇行し、飛び出してきた自転車にぶつかりそうになったり、駐車している車に接触したり…。
 映画の行く末を暗示させている?と思いきや、その車を運転していたのは高校生ジョンの父親(ティモシー・ボトムスです)。アルコール依存症?
 ジョンはうんざりした表情で父親をむりやり助手席に移動させ、自分が運転して学校に向かう。
 事件とはなんの関わりもない事実。ジョンの父親のアルコール事情も、ジョンのうんざりも…。
 ドキュメンタリーの手法をとった作品。設備の整ったアメリカのハイスクール。広々とした環境の中のある朝、いつもと同じで、いつもと違う、そんな時間が淡々と流れていく。
 導入部分と変わらず、そこに「ある」事実はすべて、のちに起こる事件とはとくに関係はない。伏線もない。彼らの会話が何かを暗示させることもない。
 そう、ドラマではなく、飾りのない事実。
 アメリカ・コロンバイン高校銃乱射事件からヒントを得た映画だが、その原因をさぐるとか、アメリカの銃社会を批判する、というテーマは表立っては見えてこない。
 犯人少年が教室でものを投げつけられるシーンがあるが、それも見逃がしてしまえば単なる日常の一光景にしか見えない。

 一人の少年だったり少女だったり、あるいは三人組の少女、恋人どうしの二人…、それぞれの行動をカメラは後ろから追い、普通の会話やありふれたいさかいを見せていく。私たちはそれを見ながら、どこか平静ではいられない。
 それはこれからこの子らを襲う惨劇を知っているからであって、そうでなければ退屈するような時間の流れだ。
 少年らは廊下や図書館やカフェテリアですれ違ったり会話を交わしたりする。それぞれの目線で、何度か同じ光景が映し出される。いつもの「ありふれた朝」であることが伝わってくる手法だ。 

 ピアノで「エリーゼのために」や「月光」を演奏する普通の少年。繊細な横顔とやわらかな物腰。ああ、この映画の導入でも「エリーゼのために」が流れていたっけ、と思い当たったすぐあと、その少年と仲間が荷物を受け取る。その中にあったのが銃。そのときの不気味な気配。ごくごく自然な暮らしの中の普通の少年に届く銃。
 ゲームをするかのように、遊びの延長のように、高揚するようすもなく試し打ちをし、計画を確認し合う。

 落ち着いた行動。動揺もせずに銃を撃っていく。常にカメラはひいた感じで撮影しているので、残忍なようすも悲惨なようすも強調はしない。
 淡々と…、そういう感じだ。
 必死で逃げる生徒たち。カメラが追っていた少年や少女たち、見覚えのある顔が現れて、撃たれたり逃げきれたりしている。
 ピアノを弾いていたあの少年は仲間の少年を撃ち(たぶん)、カフェテリアの調理場の大きな冷蔵庫に逃げ込んだカップルを追いつめたところでエンドロール。
 「月光」の静かなピアノ演奏が流れていく。

 何も声高に言わないことが、怖さを、不気味さを大きくする。なんでもないところに起こった惨劇を際立たせる。
 犯人の少年の心の闇や不幸な環境が事件を起こしたのかもしれないが、もっと深くもっと恐ろしい理由がアメリカの社会にあることを、私たちに感じさせる。

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