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■『ゆれる』(2006年)
●原案・脚本・監督 西川美和
●出演 オダギリジョー、香川照之、真木よう子、伊武雅刀、蟹江敬三、新井浩文
○ゆれる…
古い吊り橋がゆれる。
その上で、兄の人生がゆれる、男の間で幼なじみの智恵子の思いもゆれる、弟の記憶もゆれる。そして、堅いはずだった兄弟のつながりもはかなくゆれて、そして切れる…。
兄は「穏やかで気づかいの青年」のイメージのままに、故郷で父の仕事を継ぎ、ガソリンスタンドで働く。故郷を飛び出した弟は新進カメラマンとして、都会で今風な生活を送る。
母親の一周忌に久しぶりに家に帰ってきた弟。兄との語らいの中に優しい匂いが行き交うが、それでも隠れた部分は単純じゃない。
兄の恋人、智恵子は弟のかつての恋人で、今の兄とのことを知りながら、智恵子にも近づく。たぶん、都会の暮らしや仕事に、それほど満足しているわけではないんだろう。
三人ででかけた美しい渓谷の吊り橋から、智恵子は転落死する。いったんは事故死で処理されたのだが、その後、兄がその吊り橋の上に一緒にいたことを自供し、裁判になる。
必死で兄のために奔走する弟。面会の場で、思いもよらない兄の姿を見る弟。自分がいくら変わっても兄は昔のままの優しい尊敬できる人だと信じていた弟は、一転して、裁判で兄に不利な証言をする。
兄は有罪判決の末、7年後に出所してくる。
そのとき、弟は…。
ゆれる二人の関係。幼い頃はきっとすべてが見えていたのだろう。離れて、別の時間を生きているうちに、見えない部分や思いがこんなふうに二人を変えていく。
見ている私の視線が、吊り橋のゆれといっしょになって、心の中に不思議な振動をもたらした。
○女と、男ふたり
ふたりの男の間でゆれる智恵子。真木よう子が、狭い世界で生きる日常への欲求不満を表情に漂わせて、若いけれどどこかであきらめた女を印象的に見せる。優しい物腰と兄への辛辣な言葉の間の、若さゆえ?の悲しい無神経が、悲劇を生んだのだろうか。
兄の香川照之はさすがだな。優しさの中に押し殺したものを埋め込んで、不本意な人生を歩いていたのか、と思わせる内面を深く見せてくれる。
弟に浴びせる、投げやりな言葉。「お前がいつも言ってたことだろ。そんなもんだよ」は、弟が決して受け入れられない兄だったにちがいない。
自分に不利な証言をする弟を脇から見ているとき、その無表情な中に不可思議な安堵感が感じられたのはなぜなのか。
弟の嘘を知りながら平静を装っている背中の演技が秀逸だったな。
そして、弟役のオダギリジョー(ココとココにHPがあるのはなぜ?)。
クールな中に実は消えない幼顔を秘めて、兄の無実の証明に必死になるところが心に残る。兄を信じて、兄を愛していた思いが伝わってせつない。
兄の出所の前に幼い頃の渓谷での映像を見て、明らかになる事実、蘇る兄への思いに、流れる涙を止めることができない。無防備な幼子のような泣き顔がいい。
最後のシーン。出所した兄を追って、「兄ちゃーん」と何度も叫びながら、反対側の歩道を走る。
バスに乗る寸前に弟に気づく兄。一瞬の笑みがバスのかげに消える。
バスが走り去ったあと、兄はそこに残って弟に会ったのか、それともバスに乗ってしまったのか。
たとえ、二度と交わらない二人であったとしても、あの悲しげな笑顔に、私たちは救われる。
【追記】
外国映画とか日本映画とか、そういうカテゴリーで語ったりすると、それは本質じゃないよ、なんて言われそうだけど。
でも、生活習慣とか、狭い範囲の「世間」とか、言葉のニュアンスとか…、そういうものが琴線に響く日本映画に出会えると、すごく得した気分になる。
『ゆれる』は私にとって、そういう映画でした。
●原案・脚本・監督 西川美和
●出演 オダギリジョー、香川照之、真木よう子、伊武雅刀、蟹江敬三、新井浩文
○ゆれる…
古い吊り橋がゆれる。
その上で、兄の人生がゆれる、男の間で幼なじみの智恵子の思いもゆれる、弟の記憶もゆれる。そして、堅いはずだった兄弟のつながりもはかなくゆれて、そして切れる…。
兄は「穏やかで気づかいの青年」のイメージのままに、故郷で父の仕事を継ぎ、ガソリンスタンドで働く。故郷を飛び出した弟は新進カメラマンとして、都会で今風な生活を送る。
母親の一周忌に久しぶりに家に帰ってきた弟。兄との語らいの中に優しい匂いが行き交うが、それでも隠れた部分は単純じゃない。
兄の恋人、智恵子は弟のかつての恋人で、今の兄とのことを知りながら、智恵子にも近づく。たぶん、都会の暮らしや仕事に、それほど満足しているわけではないんだろう。
三人ででかけた美しい渓谷の吊り橋から、智恵子は転落死する。いったんは事故死で処理されたのだが、その後、兄がその吊り橋の上に一緒にいたことを自供し、裁判になる。
必死で兄のために奔走する弟。面会の場で、思いもよらない兄の姿を見る弟。自分がいくら変わっても兄は昔のままの優しい尊敬できる人だと信じていた弟は、一転して、裁判で兄に不利な証言をする。
兄は有罪判決の末、7年後に出所してくる。
そのとき、弟は…。
ゆれる二人の関係。幼い頃はきっとすべてが見えていたのだろう。離れて、別の時間を生きているうちに、見えない部分や思いがこんなふうに二人を変えていく。
見ている私の視線が、吊り橋のゆれといっしょになって、心の中に不思議な振動をもたらした。
○女と、男ふたり
ふたりの男の間でゆれる智恵子。真木よう子が、狭い世界で生きる日常への欲求不満を表情に漂わせて、若いけれどどこかであきらめた女を印象的に見せる。優しい物腰と兄への辛辣な言葉の間の、若さゆえ?の悲しい無神経が、悲劇を生んだのだろうか。
兄の香川照之はさすがだな。優しさの中に押し殺したものを埋め込んで、不本意な人生を歩いていたのか、と思わせる内面を深く見せてくれる。
弟に浴びせる、投げやりな言葉。「お前がいつも言ってたことだろ。そんなもんだよ」は、弟が決して受け入れられない兄だったにちがいない。
自分に不利な証言をする弟を脇から見ているとき、その無表情な中に不可思議な安堵感が感じられたのはなぜなのか。
弟の嘘を知りながら平静を装っている背中の演技が秀逸だったな。
そして、弟役のオダギリジョー(ココとココにHPがあるのはなぜ?)。
クールな中に実は消えない幼顔を秘めて、兄の無実の証明に必死になるところが心に残る。兄を信じて、兄を愛していた思いが伝わってせつない。
兄の出所の前に幼い頃の渓谷での映像を見て、明らかになる事実、蘇る兄への思いに、流れる涙を止めることができない。無防備な幼子のような泣き顔がいい。
最後のシーン。出所した兄を追って、「兄ちゃーん」と何度も叫びながら、反対側の歩道を走る。
バスに乗る寸前に弟に気づく兄。一瞬の笑みがバスのかげに消える。
バスが走り去ったあと、兄はそこに残って弟に会ったのか、それともバスに乗ってしまったのか。
たとえ、二度と交わらない二人であったとしても、あの悲しげな笑顔に、私たちは救われる。
【追記】
外国映画とか日本映画とか、そういうカテゴリーで語ったりすると、それは本質じゃないよ、なんて言われそうだけど。
でも、生活習慣とか、狭い範囲の「世間」とか、言葉のニュアンスとか…、そういうものが琴線に響く日本映画に出会えると、すごく得した気分になる。
『ゆれる』は私にとって、そういう映画でした。
私も「ゆれる」観ました。
香川さん、日本のこれぞっていう映画には必ず出ている印象で、ほんと、素晴らしい俳優さんですね。
「ゆれる」の感想ですが・・・。私としては、家族の「愛」というエゴだから許される範囲、それを超えてしまった各自の思い込みを感じてしまい、つらくなってしまいました。こんなコメントすみません。嫌な思いをさせてしまったら、ごめんなさい。でも、こんな風に思ったままの感想を交わすのも映画の醍醐味(勝手な言い分ですが)だと(笑)。
オダギリさんの「メゾン・ド・ヒミコ」を観たことがありますか?まだでしたら、お薦めです。
こちらは風雨が強まってきました。
lukeさんのところは大丈夫ですか。
映画とか音楽とかって、観た人、聴いた人がそれぞれにいろんな解釈できるほうがおもしろいものが多いですよね。
『ゆれる』は、lukeさんとは違う意味かもしれないけど、でも私にもキツイ部分がありました。
そうそう、スピッツの音楽もいろんな解釈ができて、飽きないですよね(笑)。
『メゾン・ド・ヒミコ』観ました、観ました! 不思議なおもしろい映画だったなあ。
観た動機は下世話なものだったのですが(笑)、どこかにレビュー書いてると思うので、お暇なときに、よかったら読んで呆れてください。
おやすみなさい。