図書館の自由に関する宣言(日本図書館協会のページより)
私は、図書館では、絵本や紙芝居の読み聞かせを、「語り」というジャンルのナマの資料だと思っています。その場限りで消えてしまうし、またその場の聞き手との関係で立ち上がってくる生ものの資料です。
だから、同じ本でも、語り手によって解釈が違ったり違った工夫がされていたほうが資料として豊かだという考えです。訓練されていない語り口や、声の大小、語りぐせがあったほうが、資料としては(人間研究の資料として)おもしろいものです。
本の良さを広めるのでなく、資料は語りの道具でしかないと思います。本はお互いの違いを認めるための道具だという考えです。聞き手は、いろいろな語り口を聞いて、「こんなふうでもあんなふうでもいいんだな、だから自分もこれでいいんだな」と自己肯定につながるでしょう。そして安心して自分を表現するようになるでしょう。すべてそこから始まります。
勝手気ままではなく、自由に語ることが、表現の自由と資料収集の自由にあたるものだと思います。
逆に、特定の指導者によって整然と揃えられていたのでは、資料として偏らせているのと同じだとさえ感じています。ぜひ、ボランティアは自信を持って、自分の語りを大切にして下さい。私もそうします。そうしてそれを進める中で、他の意見や他の人の様子を取り入れたり取り入れなかったりして、自己流が洗練されていきます。
前のページにも書きましたが、紙芝居は演じるのだと限定することに異論を唱えます。演じてもよし、語ってもよし、読んでもよし。読み手(やる人)の自由です。図書館ボランティアであれば、表現の自由はなにより尊重されるべきものでしょう。
名古屋の柳城短期大学では「紙芝居の読み聞かせ」という立場から研究がなされています。もちろん「演じる」のも「読み聞かせ」の一ジャンルなのでしょう。人が自分の思いを絵にし、文を書き加え、それを他人に伝えようとした太古の時代、その原点は、人の本能である自己表現に関るものだと思っています。