自分の言葉で語る危うさ

昔、絵本の読み聞かせ講座を受けたとき、本の文字を読むけれど、それ以外どの程度おしゃべりできるか、ということについて講師の意見がありました。

「いろいろ言い過ぎないこと。『天皇万歳』って言っちゃったら困るでしょ」というようなことをおっしゃった。
「そりゃーそうだよな」と思いながらも、「つまり、過去にそう言った人がいたのかな?」とも思いました。

 そこでちょっとアタマをよぎったのが、無学な私でも知っていた「戦争中って、戦争に反対すると迫害されたし、兵隊で死ぬことが正しかったんだよね、それをメディアはPRしたんだよね。天皇万歳は国是だったんだよね」ということでした。

当時は「絵本の読み聞かせ」はなかったろうから、演説のようなものでそう煽る人が英雄視されたんだろうな、それこそ世間話の場所でも、いかに自分や身内がお国の為に尽くしたかということを自慢したんだろうなあ、などとも思いました。
 
「過去の教訓から、講座の講師はそのことを避けるために、その時代に正しいとされていることであっても、調子に乗って自分の言葉をさしはさんだり子どもにしゃべっちゃったりするのはよくないと考えた。だからなるべく、印刷されたものをそのまま語ったり読んだりしたほうがいいんだろうな」と思いました。
 その他に、「今、正しいと思っていても、あとで間違っていると分かることもある。だから 判断力のない子どもに ある種の思想を吹き込むようなメッセージ性の強いものは 読み聞かせに使わない方がいい」ということでした。

 「だから紙芝居ってこわいのよ」という言葉を聞いたときも、その人はそういうふうに学んできたんだからしょうがないかな、でも、紙芝居だけが戦争協力したわけじゃないってことはちゃんと調べればわかるんだけどな。第一、そう言う人って自分で調べることはないだろうし、それが偏見だってことも気づかないでいるんだろうな、などとも思いました。

 そんなことがあって、自分の言葉を持たないまま十年が過ぎました。私のようにトークが苦手な者にとって、書いてあることだけ読めばいい読み聞かせは、とても安心できるボランティアでした。
 自分の言葉で語るストーリーテリングは『全日本語りの祭り』で聞いて自分で試してみて、なんとか出来そうです。世相を語ったりするのはできないだろうけど、もしかして紙芝居だと他の会員さんでやりそうな人もいる。『二度と』という印刷紙芝居は脚本からしてシュプレヒコールみたいだもんね。おすすめ作品にしている団体もあるから、いつどうやって使ったものか、ちょっと脱力しています。
 庶民の素朴な語りは好きだけど、立派そうな人にわれ先に擦り寄ってとりまいてしまうのも弱い人たちだから、そこから暴走が始まるんだろうか。
 
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