本来の権威者は市民

私などが言うまでもなく、主権在民は憲法で謳われています。
民主主義は図書館の根幹にあります。ですので、私は、権威者は大先生でなく、市民だと思います。市民は幅広く、みな等しい高さにあると、イメージしています。

 公共事業は、生活道路のようにいつでも誰でも、通れるように、使えるように、しておきたいものです。車と共生するためにはルールが必要ですが、車優先でなく、弱者優先でいきたいものです。
 強い者(経験が長い者、ポリシーのある者)は、弱い者(よく分からない人)のために、歩調を合わせたり待ったり、弱い者に合わせて許容範囲を広く持ちたいと思うのです。しかも弱い者から学ぶことは宝のようです。
 しかし、とても我慢の要ることで、私などは何度会員さんにあやまったかお願いしたか分からないほど、失敗をくり返してきました。その都度、自分を壊してきたのです。
 おはなしのじかんなども、コンサートなどより少しカジュアルに、静かに入ってくださいというような看板で注意を促すことはどうでしょう。携帯の電源を切ることなども書くことが出来ます。騒がしい人がいるようなら臨機応変に合わせたらどうでしょう。それが本当に能力ある者だと思います。きちんと聞きたい方は、お部屋の中できちんと聞くのも保証されています。

 自分たちが間違っていたと自分を含めて言っています。否定的な書き方で、言われた方はいい気分ではないかも知れません。それならば、やっているうちに方向が集約型にブレた、と思うといいのではないでしょうか。どうしてブレたのかは、人それぞれ分析結果が違うでしょうが、やはり密室で仲間内でやってきたというのが、大きいと思います。
 今は、講座などをすれば受講生から感想を集めるのは当たり前ですね。なかなか悪いことは書かれないので、慢心してしまいます。悪いことを書く代わりに、ボランティア団体に入らなかったり、辞めたり、おはなし会には出向かなかったりして、「市民や子どもという権威者」の声無き声だな、と感じていました。今までこんな立場で書き散らかしてきました。こんなことで、どうですか?

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