はじめての日本むかしばなし

教育画劇から、「はじめての」という冠で、日本昔話と世界の名作が、シリーズででていることに気づいていました。きっと図書館では買わないだろうと思っていたら、日本むかしばなしシリーズの方だけ買ってあったので、借りてみました。文章は簡潔、絵も簡潔な、マンガっぽい画風でした。もしかしたらパソコンのお絵かきソフトが使われているようにも見える絵でした。0歳~3歳位が対象でしょうか。文を書いた人の名前が書いてないのが難点で、制作が教育画劇と書いてあるので、きっと教育画劇の編集の人が文を書いたんだろうと推測し、ブックリストを作るときの脚本家の欄には、「教育画劇(編集部)」などと書くことになると思います。

 数年前の図書館読み聞かせボランティア入門講座の資料に、「昔話は代々伝わってきたものだから、絵はどのようなものがいいでしょうか」などという記述があって、行政はクラシックでリアルな絵のものを子どもに勧めましょうと言いたいんだろうなと何となく思っていました。そのような考えが『絵本の事典』にもコラムとして書いてありましたし、小澤俊夫の講座でもそのような説明がされたはずです。きっと、新潟市の絵本講師も県の講座で、上越や中越でそのように説明したことでしょう。「ヘンなものはダメ、とにかく変えるな」の激しい声が聞こえるような現場です。

 ところで、子どもに、絵を見せて語るということでは絵本も紙芝居も同じだと思うので、マンガ的な画風を指して「紙芝居だからいい」とか「絵本はだめ」というのは、受ける子どもの目線からみるとナンセンスな区分のように思われます。
 その前提で考えると、単純な絵は子どもでも描ける「子どもの文化」に近いものですから、子どもが自分のものにするには適切だと思うのです。自分のものにして心に残り、次の世代につながっていくとも思います。この「はじめての」のシリーズも、子育て支援センターなどで未就園児にやるのに適していると思います。保護者の人も、「これでもいいんだ」などと安心して、気楽に絵本を買ったり選んだりできると思う。幼児向けの雑誌には、こういった絵のものがたくさん掲載されているでしょうし、これを真似してお家の人が絵を描いてくれるかもしれない。
 本屋さんのあのくるくる回る書架の手のひら絵本も、大勢の民衆に支持されて増刷されているのですから、民衆の一人である私は大好きです。そういう本を図書館に置かないということは、民衆に「来るな」と言っているのと同じだと思ったりします。
 文は、学校や大人相手のおはなし会ならば、さかのぼれるところまで戻って調べることもあるでしょうが、気楽な遊びの場所でやるなら、この紙芝居は、単純明快で短くて、使いやすいです。自分の記憶にある話に合っていればいいし、合ってなければ「自分の聞いた話はね・・・」などと付け足せばいい。どんな文化に出会うかは、人それぞれ偶然の積み重ねでもあります。図書館は「偶然をコントロールする」のが「教育」だと思ってるんだよね。そんなことをするのが、人の幸せに続く道なのかなあと今でも疑問です。

 日曜の朝日新聞のグローブの着物の伝統に関する記事をなにげなく読んでいて、作曲家マーラーの言葉にぶつかりました。「伝統とは火を守ることであり、灰を崇拝することではない」というような言葉です。昔話や民話の伝統って、特定の語法や画風を崇拝することでなく、民衆が自由に語ることそのものではないかと思うのです。大人の趣味のおもちゃにならないように、自由に語れるように、自分でもやっていきたいと思います。

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