図書館・語り・紙芝居・集団相手の絵本よみ・ボランティアなどについて書きます。
絵解きボランティア
紙芝居ボランティア(ページ3)(価値)
2005-10-28 / 論文
4 紙芝居の価値
① 古典の価値
印刷紙芝居は古典の宝庫です。絵本の古典のように内面に深く掘り下げるものとは全然別の感覚です。昔の貧しい時代に、なんとか子どもを楽しませようと苦心した当時の大人の姿が見え、それがとてもほほえましく、それが間口の広い紙芝居の良さです。大人が子どもを素朴に慈しむ姿はいつまでも世代を超えて人の心の中に暖かく残って欲しく、印刷紙芝居の中では特に大切にしたいものです。
② 演じ手のメリット
演じ手は紙芝居作品の半分を分担した製作者でもあり、誰でも簡単に作家と肩を並べて作品を表現することができます。紙芝居の面白さを過去に体感した世代にとっては、若い人より何倍も楽しいことでしょう。また、ふつうの人から語り手へ変身するために気持ちの切り替えをすることが、心を開放させる手助けになるのではないでしょうか。
③ 聞き手のメリット
聞き手同士が同時に声を出したり、顔を見合わせたり、気持ちを共有し連帯感をはぐくみます。
近所の大人が素朴におはなしをしてくれるような様子も見逃せません。偉そうな人、気の弱い人、優しい人、早口、のんびり。そんな大人の見本市が舞台の横に現れて、「どんな人でもこれでいいんだ」と聞き手は安心し、まるで「個性の違いを尊重するトレーニング」をしているようです。絵も自分の身の丈にあった分かりやすい絵です。
子どもは、競争や人を疑うという現実の中で生きています。紙芝居では、いつも威張っている大人が、自分のために向かい合い、自分のために一生懸命演じるのを見ることができ、それは子どもにとって、自分が絶対愛され受け入れられたと感じる幸せな時間に違いありません。
『街角の子ども文化』にもある通り、声を出すのがうまいことや語りのうまさでなく「安心できる人」を子どもは好きです。かつて大阪に口べたの紙芝居屋さんがいて周囲が気をもんだけれど、子どもたちは自ら楽しい雰囲気を作り耳を傾けたということです。芸が下手な方が子どもが突っ込みやすく、気安く、共にあるという感じを受け、親も安心したのでしょう。ストーリーテリングは、そのおはなしが好きだからただ人に伝えたいという気持ちが基本ですから、自信のない方はこれでいいでしょうかと誠実におはなしを語れば良く、その姿は手馴れた芸を見せる以上に、子どもにとって大切なものを届けるのではないでしょうか。
④ 文化としての価値
雪見障子、カメラ、Iモードなど、日本人には現実の中に少し特別な感じがあって区切られた小さな世界を覗くのが好きな人が多く、紙芝居は日本独自の文化として生き延びてきました。
泥臭さに執着せず「都市の中のストーリーテリング」としての紙芝居であれば、手軽な芸として今の若者にも受け入れられ次の世代に手渡せます。
路地裏が消えて久しいですが、ちょっと怪しく、いい加減であいまいな、真面目と不真面目、大人と子ども、の境目として活躍します。
また、KAMISHIBAIとして外国にも通じ、言葉が通じなくても絵カードで物語ることができ交流の担い手になります。それは国内であっても同じことで、民話などで手作りされれば地域の情報や情緒のシンボルになるでしょう。
昔、街頭紙芝居の画家がその技術を持って漫画家になり、アニメーションになっていったとき彼らは場面を切り取って並べ、つなげていくという紙芝居の技術を大切に使いました。アニメの原点としての価値があります。
また、おはなしを語り聞くという人間の基本的で世界共通の楽しみは、誰とでも分かち合うことに価値があり、聞く人の価値観が多様な現代においてはおはなしの良し悪しを決めるのは無理ではないでしょうか。篝火を囲み、ほの暗い人影を背に語った大昔、影絵が生まれ、語りが生まれ、本が生まれ、図書館が生まれ、それらが現在のおはなし会につながっているのなら、同じところから変化した紙芝居もまた語りの文化だと思います。
⑤ 大人にとってのメリット
手作りするときは、登場人物の向きや場面割など、いちいち迷います。面白いネタはないのか、自分の周りは、地域はと、新たな視点で周りを見るようになり、民話を材料にしようとすれば自分で捜しにも行くし、絵を描くため歴史の本まで手にとるのです。
演じる時も、紙芝居は多方面からの利用があり、それに対応するため情報を集めたり文献を読んだりすることになります。それらは両方とも学ぶことそのものではないでしょうか。
⑥ 子どもにとってのメリット
「児童文化」という言葉があります。それは「大人が子どものためを思って差し出す文化」で、比較的高級志向で大人の願望が現れ、大人はそれに偏りがちです。
それに対して「子ども文化」があります。それは「子どもが自ら作ったり、もともと持っている文化」で、粗野でエネルギーにあふれていることが多いのです。学校の昼休みや放課後に子どもたちがしていることを想像すればよく、大人が敬遠しがちなものも多いです。
切手蒐集、メンコ、かるた、○○カードゲームなど、カード集めはいつの世も子ども文化の王道でした。子ども達は「大きなカードだ。並びかえて違う話にして遊ぼう」と思っているかもしれません。それは創造の第一歩ではないでしょうか。
⑦ 高齢者にとってのメリット
高齢者といってもさまざまですが、もうだれに気兼ねがいるものかといった本音で勝負の気持ちが共感をよび、人気です。人生を物語るという立場で研究が始まり、お腹から声を出したり自分の昔を物語ったり、思い出したり、分かち合う体験ができます。高齢者が公共の場所で紙芝居を演じる場合、それが裏目に出て世代間の断絶を広げてしまう可能性もあり、若い人の前では歩み寄る気持ちを大切に紙芝居を語れればとても魅力があり、重宝され、生きがいにつながります。
⑧ 図書館のメリット
文字以前の物語記録装置としての語りがあり、おはなし会として行事に組み込まれています。本という建物があったとすると、紙芝居はその前庭にある花のようです。本の世界を別天地とするような建物の中で「本が人より大事」と本の奉仕者となっているより、「現実の生活の中の本」として、道を行く人のために庭の価値を見直し、究極は庭の中の東屋として図書館があっても良く、紙芝居は特に子どもや高齢者にとっては感覚としてのブックバスだと思います。
また、図書館には子ども自ら作った資料がほとんどありません。絵本だって大人が作ったもので、子どもの手作り紙芝居はほとんど唯一「子ども文化」として子どもの目から見た社会や子どもそのものを描いた資料なのです。
① 古典の価値
印刷紙芝居は古典の宝庫です。絵本の古典のように内面に深く掘り下げるものとは全然別の感覚です。昔の貧しい時代に、なんとか子どもを楽しませようと苦心した当時の大人の姿が見え、それがとてもほほえましく、それが間口の広い紙芝居の良さです。大人が子どもを素朴に慈しむ姿はいつまでも世代を超えて人の心の中に暖かく残って欲しく、印刷紙芝居の中では特に大切にしたいものです。
② 演じ手のメリット
演じ手は紙芝居作品の半分を分担した製作者でもあり、誰でも簡単に作家と肩を並べて作品を表現することができます。紙芝居の面白さを過去に体感した世代にとっては、若い人より何倍も楽しいことでしょう。また、ふつうの人から語り手へ変身するために気持ちの切り替えをすることが、心を開放させる手助けになるのではないでしょうか。
③ 聞き手のメリット
聞き手同士が同時に声を出したり、顔を見合わせたり、気持ちを共有し連帯感をはぐくみます。
近所の大人が素朴におはなしをしてくれるような様子も見逃せません。偉そうな人、気の弱い人、優しい人、早口、のんびり。そんな大人の見本市が舞台の横に現れて、「どんな人でもこれでいいんだ」と聞き手は安心し、まるで「個性の違いを尊重するトレーニング」をしているようです。絵も自分の身の丈にあった分かりやすい絵です。
子どもは、競争や人を疑うという現実の中で生きています。紙芝居では、いつも威張っている大人が、自分のために向かい合い、自分のために一生懸命演じるのを見ることができ、それは子どもにとって、自分が絶対愛され受け入れられたと感じる幸せな時間に違いありません。
『街角の子ども文化』にもある通り、声を出すのがうまいことや語りのうまさでなく「安心できる人」を子どもは好きです。かつて大阪に口べたの紙芝居屋さんがいて周囲が気をもんだけれど、子どもたちは自ら楽しい雰囲気を作り耳を傾けたということです。芸が下手な方が子どもが突っ込みやすく、気安く、共にあるという感じを受け、親も安心したのでしょう。ストーリーテリングは、そのおはなしが好きだからただ人に伝えたいという気持ちが基本ですから、自信のない方はこれでいいでしょうかと誠実におはなしを語れば良く、その姿は手馴れた芸を見せる以上に、子どもにとって大切なものを届けるのではないでしょうか。
④ 文化としての価値
雪見障子、カメラ、Iモードなど、日本人には現実の中に少し特別な感じがあって区切られた小さな世界を覗くのが好きな人が多く、紙芝居は日本独自の文化として生き延びてきました。
泥臭さに執着せず「都市の中のストーリーテリング」としての紙芝居であれば、手軽な芸として今の若者にも受け入れられ次の世代に手渡せます。
路地裏が消えて久しいですが、ちょっと怪しく、いい加減であいまいな、真面目と不真面目、大人と子ども、の境目として活躍します。
また、KAMISHIBAIとして外国にも通じ、言葉が通じなくても絵カードで物語ることができ交流の担い手になります。それは国内であっても同じことで、民話などで手作りされれば地域の情報や情緒のシンボルになるでしょう。
昔、街頭紙芝居の画家がその技術を持って漫画家になり、アニメーションになっていったとき彼らは場面を切り取って並べ、つなげていくという紙芝居の技術を大切に使いました。アニメの原点としての価値があります。
また、おはなしを語り聞くという人間の基本的で世界共通の楽しみは、誰とでも分かち合うことに価値があり、聞く人の価値観が多様な現代においてはおはなしの良し悪しを決めるのは無理ではないでしょうか。篝火を囲み、ほの暗い人影を背に語った大昔、影絵が生まれ、語りが生まれ、本が生まれ、図書館が生まれ、それらが現在のおはなし会につながっているのなら、同じところから変化した紙芝居もまた語りの文化だと思います。
⑤ 大人にとってのメリット
手作りするときは、登場人物の向きや場面割など、いちいち迷います。面白いネタはないのか、自分の周りは、地域はと、新たな視点で周りを見るようになり、民話を材料にしようとすれば自分で捜しにも行くし、絵を描くため歴史の本まで手にとるのです。
演じる時も、紙芝居は多方面からの利用があり、それに対応するため情報を集めたり文献を読んだりすることになります。それらは両方とも学ぶことそのものではないでしょうか。
⑥ 子どもにとってのメリット
「児童文化」という言葉があります。それは「大人が子どものためを思って差し出す文化」で、比較的高級志向で大人の願望が現れ、大人はそれに偏りがちです。
それに対して「子ども文化」があります。それは「子どもが自ら作ったり、もともと持っている文化」で、粗野でエネルギーにあふれていることが多いのです。学校の昼休みや放課後に子どもたちがしていることを想像すればよく、大人が敬遠しがちなものも多いです。
切手蒐集、メンコ、かるた、○○カードゲームなど、カード集めはいつの世も子ども文化の王道でした。子ども達は「大きなカードだ。並びかえて違う話にして遊ぼう」と思っているかもしれません。それは創造の第一歩ではないでしょうか。
⑦ 高齢者にとってのメリット
高齢者といってもさまざまですが、もうだれに気兼ねがいるものかといった本音で勝負の気持ちが共感をよび、人気です。人生を物語るという立場で研究が始まり、お腹から声を出したり自分の昔を物語ったり、思い出したり、分かち合う体験ができます。高齢者が公共の場所で紙芝居を演じる場合、それが裏目に出て世代間の断絶を広げてしまう可能性もあり、若い人の前では歩み寄る気持ちを大切に紙芝居を語れればとても魅力があり、重宝され、生きがいにつながります。
⑧ 図書館のメリット
文字以前の物語記録装置としての語りがあり、おはなし会として行事に組み込まれています。本という建物があったとすると、紙芝居はその前庭にある花のようです。本の世界を別天地とするような建物の中で「本が人より大事」と本の奉仕者となっているより、「現実の生活の中の本」として、道を行く人のために庭の価値を見直し、究極は庭の中の東屋として図書館があっても良く、紙芝居は特に子どもや高齢者にとっては感覚としてのブックバスだと思います。
また、図書館には子ども自ら作った資料がほとんどありません。絵本だって大人が作ったもので、子どもの手作り紙芝居はほとんど唯一「子ども文化」として子どもの目から見た社会や子どもそのものを描いた資料なのです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 紙芝居ボラン... | 紙芝居ボラン... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません |