モリゾ
ブラックモン
ゴンザレス
そして、メアリー・カサット。
「女流印象派4人」と称された画家の名前だ。
裏を返せば、名を残したのは4人しかいなかった、ともいえる。
しかも、ゴンザレスは30代で亡くなり、
ブラックモンは同じ芸術家の夫から厳しく活動を制限され、
早期に引退してしまったので、
実質、モリゾとカサットの2人、、、。
この時代、女性が職業画家として「自立」することが
いかに難しかったかを物語っている。
カサットは米国の富裕層の生まれで、
のちに浮世絵などの美術品コレクターとしても
知られるようになるほど、経済的に余裕もあったし
知性も教養もあった。
イマ風に言えば、セレブな奥様としての一生を送っても
まったく不思議はないのに、
彼女は20そこそこで、画家を目指すようになり、
親の反対を押し切り、パリへ渡ってしまう。
フライヤーにも載っている「桟敷席にて」1878年の作品。
このころすでにパリの文化は貴族のためのものではなく
ブルジョワが享受するものになっていた。
女性は“見られるために”着飾って劇場にいるのではなく
自分が主体となって“見るために”そこにいる。
理想化されすぎない女性たちが、実社会でも絵画のモチーフでも
主役になっていったのだ。
それでもなお、この絵では、
正面奥の男性が、じっと手前の女性を見ている。
キャンバスの中で交錯する視線に、どきっとさせられる。
カサットの絵には、幼子を抱く母親や、
姉妹や、そんな温かい家族像を描いたものも多いけれど、
みな、自立心を静かにたたえているように、私の目には映った。
「夏の日」1894年。
今回の展示を観る前に、私がとりわけ興味を持っていたのが
エドガー・ドガとの関係性だった。
ともに生涯独身で、ドガとは佳きライバル、佳き同志とも言われているが
カサットはドガの死後、彼からもらった膨大な数の手紙をすべて
焼却してしまったため、真相はよくわかっていない。
非常に気難しく、ときに高慢で威圧的、晩年は友人をほとんど失ったと
言われているドガと、
エレガントで謙虚なカサットとの組み合わせは、どうもぴんとこないけれど
芸術への情熱の強さで、結びついていたのだろうか。
でも今回の展示は、
そのように史実があいまいな側面にはほとんど触れられておらず、
ちょっと肩すかし……
(横浜美術館の展示は、今までの鑑賞経験では確かに、堅実で淡々と
歴史を追う、という構成が多いです。)
こちらの、ドガの作品
「踊りの稽古場にて」1884年ごろ
を観ると、
上の「夏の日」の、ボートが思い切って半分切り取られている
構図が、ドガのスタイルの影響を受けているなあと納得。
そして、印象派の画家といえば、浮世絵との関係性も
気になるところ。
「沐浴する女」1890-91年。
版画の技法で描き出された美しい線は、
ジャポニズムの影響を受けている。
ドガがこの絵を見て、こんなにきれいな線を描ける女流画家がいるとは!などと
驚いた、というエピソードも。
「化粧台の前のデニス」1908-09年ごろ
これは喜多川歌麿「高嶋おひさ 合わせ鏡」(1795年)の影響を
受けているとされている。
西洋絵画では、鏡の前の女性は「人生の虚しさ」の寓意とされて
いるのも興味深い。
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米国出身で、女性で、しかも当時まだ評価の定まっていなかった
印象派の画家。
もともとカサットは、印象派以前の絵画スタイルで「サロン(官展)」
入選を目標にしていたのだから、
決して予定調和な画家人生ではなかった。
とても世俗的なものの言い方をすれば、
「いいところのお嬢さん」が何もそんな苦労をしなくても、、、なんて
つい、思ってしまったりするのだけれど。
それを軽く凌ぐほど
印象派の(発端はドガの描いた落馬の絵に目を奪われたこと)魅力に
とりつかれたのだろうか、
そして
何より「自立すること、自立していること」に並々ならぬこだわりも
あったようだ。
「私は自立している。
ひとりで生きていくことができ、
仕事を愛しているから。」
カサットが、確か1900年を過ぎてから知人に贈った言葉。
何でも手に入れる人生などなくて、
カサットもさまざまなもの-お金に翻弄される貧困層や、芸術を極める厳しさや
晩年は視力の衰えも-に少しずつ傷つきながら、
でも一番、自分がその上に安住できるものを守り抜いた、
そんな感想を私は、彼女に対して抱いた。
勝ち取る、奪う一方ではなく、
引き換えたり、手放したりが潔くできる生き方に
私も理想を重ねあわせる。
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