世界的な大芸術家 岡本太郎の記念美術館が
自転車で行ける距離にあり
自然豊かな生田の森とともに楽しんだものでしたが
ここ世田谷にも、芸術の薫り高い施設が
そこここにあり、
先日訪れてみたのは
うちからすぐ行ける、等々力通り沿いの
九品仏寄りにある
宮本三郎記念美術館。
砧にある世田谷美術館の分館の一つです。
分館はほかにも
成城学園近くと、駒澤大学近くに計3館あり
おいおい、ほかのところも訪ねてみようと思っています。
さて
宮本三郎は石川県出身ですが、30代でこのあたりに
アトリエを構えていたそう。
戦前、夫婦でフランスに渡り
誰誰に似ている、と言ってはたいへん失礼ですが
どことなく佐伯祐三を思わせます。
端正で繊細な筆遣いですが、日本のアカデミズムとは
一線を画した"フランス・スタイル”を、短い期間で
ものにしている、という印象を受けました。
第二次世界大戦が勃発したため、たった1年半で
帰国を余儀なくされ
戦中は従軍画家として東南アジア等で記録のために筆をとり
帰国後は、疲れてしまったのか故郷 石川県に戻り
とても印象派的な、光が水面をゆれるような絵画を描き
その後、50~60年代にはフォビズムを感じさせる
力のある色彩で風景を描くようになります。
何だか、日本の戦後~経済復興の気運をも
反映しているような気がします。
不勉強ゆえ、私はこの展示で初めて知ったのですが、
この方は戦後、熊谷守一らと美術団体の二紀会を立ちあげ
地元 金沢の大学でも教鞭をとり
日本芸術家連盟理事長などの要職も歴任。ネット情報の受け売りですが
芸術家の社会的権利を護る活動にも熱心だったそう。
今の日本の芸術作品の保護や流通に関するルールの
礎をつくった人なのでしょうか。
芸術家というと、一般的には"内向き”で自分の感性や理念を追求する
人物像が目に浮かびがちですが
こうした"外向き”の役割を担える人がいてこそ
私たちは普段、こうして芸術作品を鑑賞できる機会が
当たり前のように得られているのだろうな、と、
尊敬の念を持った次第です。
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