寮生の野蛮な行動はストームに限られたことではない。「寮雨」もそのひとつと言うべきだろう。こちらの方は僕も常習者だった。
寮雨というのは、二階の窓から立ち小便をすることだ。一階の便所まで足を運ぶのが面倒ということから始まった習慣だと思われるが、一度やってみるとこれが大変気分のよいもので、とりわけ晴れた夜、星空を仰ぎながら寮雨を降らせることは、たまらない快感だった。このため、一階に住んでいるのに、わざわざ二階まで上がってきて寮雨を行なう者もあったくらいだ。
また冬の日、雪の積もった地面をめがけてしっとりと寮雨を降らせることにも、非常に感慨深いものがあった。自分の体内から排泄された小便が、一筋の放物線を描いて真っ白な雪の中にじょろじょろと落ちていく。雪はわずかに湯気を立てながら円錐状に融かされ、その周囲がじわじわと黄色に染められていく。こうした漠然たる快感は、人間の持つ本能に由来するものではないかとも思う。
寮雨は通常、二階の廊下の窓から行なわれた。室内の窓からやると、階下に住む寮生が臭い思いをしなければならないからだ。ストームでは平気で他人に迷惑をかけるくせに、こういう変なところで紳士協定のようなものが成り立っている。なかには、寮雨を始める前に、わざわざ大声で宣告をする者もあった。「南寮〇号ヤマザキ、寮雨!」それからじょろじょろだ。言うまでもなく、こういう声はたいてい南寮の方から聞こえてきた。
廊下の窓の下には、適当な間隔でビールのケースや何かが置かれていて、その上に立って寮雨をする。寮雨に使われる窓の下では、窒素成分が豊富なためか、雑草の生育がきわだって旺盛だった。酔っぱらって寮雨をしている途中に、二階の窓から転落した人もいるらしい。幸い大きな怪我はなかったそうだが、想像するとおぞましい光景だ。
軟派学生の僕にしても、思誠寮の生活は楽しいものに違いなかった。高校生時代、アナキストたちのコミューン生活に興味を抱いたことがあったが、考えてみれば寮で行なわれていた共同生活の様式は、そういったものとたいして違わなかったのではないかと思う。例えば、誰かがテレビを手に入れると皆がその部屋に集まり、誰かが買ってきた週刊誌は1ヶ月くらいかけて寮内のあちらこちらを巡回した。誰かがパチンコで稼いできたあぶく銭は麻雀の勝敗によって寮内で再配分され、多くの金銭を集めた者は、食料品や電化製品などの物品を購入することでその恩恵を皆にフィードバックした。
あるいは、それはアナキズムというよりも、原始共産社会に近いものだと考えた方がよいのかもしれない。そこには煩わしい思想信条やイデオロギーといったことはまったく関与していない。ただ日々の生活のために様々な物を共有しあっているだけだ。
レコードやマンガ本などは、どれが誰の所有物なのかまるでわからなかった。ある部屋に設置されていたオーディオセットは、アンプとスピーカーとプレイヤーとカセットデッキの所有者が全部別々だった。誰一人として、独力で音を鳴らすことができない。自転車についても、駐輪場に置いてあるものを皆が適当に乗って行ったから、朝寝坊をすると廃品同然のオンボロ車しか残っていないというありさまだった。
こうした共有関係は、いつ誰が決めたというわけでもなく、ごく自然のうちに維持されていた。さらに言えば、机や布団などのあらゆる付属品を含め、部屋そのものが全体の共有物であったと考えることもできる。寮は原則的に二人部屋だったが、一人がガールフレンドを連れ込んできた場合などは、同室者は気を利かせて(と言うか、いるにいられず)、他の部屋へと避難した。テレビや麻雀卓などが置いてある部屋はいつも大勢の溜り場となっていたが、例えばその部屋の住人が静かに眠りたいと思ったようなときには、どこか空いている部屋を見つけて一夜の寝床とした。その布団の主が部屋に帰ってきたときには、「あっ、誰か寝てる」と言って、また別の寝床を捜しまわる始末だ。
僕が中学生の頃に買ったChakiのギターはどこかへ行ってしまい、代わりに誰の物だか分からないギターが今も手元にある。そういえば、就職活動に着て行くスーツを何人かで共有している人々もいたなぁ。何とも不思議な世界である。
(続く)
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