****** BLOG ******

エッセイ,
活動記録,
その他いろいろ,

 ♪♪♪ H.Tokuda

思誠寮の思い出(4)

2017-01-30 22:58:42 | 思誠寮の思い出


 寮の建物は南、中、北の三棟に分かれ、寮生のタイプもそれぞれの棟ごとに特徴があった。半年に一回部屋替えが行われ、個人の希望が尊重されるから、同類同士が集まって住むことになる。
 大酒を飲んで夜中に暴れまわるような、いわゆるバンカラ学生は南寮に結集し、非常にむさ苦しい居住空間を形成していた。北寮生は常に南寮に対して対抗意識を持っていたが、南寮生ほど野蛮ではなく、スポーツマンタイプの熱血派が多かった。日頃のエネルギーでは明らかに南寮が優っていたが、いざ球技の試合や駅伝なんかをやると、北寮のほうが強かった。南寮生は「前哨戦」と称するコンパで酔いつぶれてしまい、本番では力を出せないままに終わってしまうのだ。
 僕が入ったのは中寮で、南寮とは対照的に軟弱な学生が多かった。もちろん中寮生のなかにも酒を飲んで騒ぎまわる学生は何人かいたが、それはあくまでも個人的行動の範囲を超えない。中寮全体としては、南寮、北寮に比べると、はるかにおとなしかった。酒や山登りよりも音楽やマンガを愛好する者が多く、文学談義などを好み、服装のセンスも比較的まともだ。つまりは、普通の学生にもっとも近い人種と考えればよい。部屋にガールフレンドを連れて来たりするのも、たいていは中寮生に限られていた。
 中寮生のこうした体質は、南北寮生から軟弱者と非難された。最初中寮に入った新入生の中でも、こういうムードに批判的な硬派諸君は、半年後の部屋替えで南寮か北寮へ移っていった。逆に南寮からは、その伝統的体質になじまない人々が中寮へ亡命してきた。こうして各寮のカラーはますます濃厚なものとなっていくのである。
 僕は最初から中寮に入り、寮を出るまでずっとそこをねぐらとした。新入生の部屋割については、寮委員が集まり、入寮願書に記載された内容などを参考に決めていたのだが、趣味:ギター、愛読書:谷川俊太郎の詩集、寮生活への希望:プライバシーの尊重、などと書かれたものを中寮に配属するのは、まあ誰が考えても妥当なところだろう。

 時おり部屋の外を嵐のような行列が通り抜けていった。酔っ払いの大群が寮歌を歌いながら裸で寮中の廊下を練り歩き、各部屋の扉を蹴飛ばしたり、バケツで互いの体に水をかけあったりしているのだ。これは「ストーム」と呼ばれる伝統行事で、南寮コンパのフィナーレでは必ず行なわれた。ストームが過ぎ去った後には、廊下中が水浸しになり、窓ガラスが何枚も割れ、ケガ人が出ることも珍しくなかった。たまに中寮でも小集団によるストームが行なわれることはあったが、南寮の廊下を通過するときには、「おい、元気がないぞ!」「もっとしっかりやれ!」などとヤジを飛ばされるのが落ちだった。

 写真は寮祭でのファイヤーストームの光景。さすがに野外なので全裸ではなく、みな赤フンを締めている。
「デカンショ~、デカンショ~で半年暮らす。ヨイヨイ! あとの半年は寝て暮らす。ヨーイ、ヨーイ、デカンショ~」こんな歌を歌いながら延々と踊り続ける。「デカンショ」とはデカルト、カント、ショーペンハウエルを一緒にして縮めたものだとの説もあるが、定かではない。
(続く)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿