2008年 南京・中山稜
南京の紫金山にある、孫文の墓=中山陵です。
辛亥革命後、1912年1月1日に孫文(1866-1925年)を臨時大総統とする中華民国が成立した。その後も孫文は、新しい中国の国造りに邁進したが、1925年、「革命未だ成功せず」の言葉を残して、北京で波乱の生涯を閉じたのです。
孫中山の遺志に基づき、1929年6月1日、遺体は南京の紫金山の中山陵に埋葬された。
場所はここです。
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毎年3月12日には、各界人士が参詣する。→人民網報道
最近の中山稜の風景を動画でご覧になりたい方は、こちらをクリックしてご覧ください。
北京から、遺体を南京北駅(浦口駅)まで汽車で運び、フェリーで対岸まで運び、そこから車で中山陵まで運んだと言われている。その折に、通過した道路が、中山北路、中山南路、中山東路と後日、呼ばれた。
その中山北路と中山東路の交差点に位置するのが、新街口です。
そこに、昔は、孫文の革命を支援した梅屋庄吉が作成し、1929年に送った銅像が立っていた。
当初は南京国民党中央军校に建てられた。
(4基製造し、中国に送ったらしい)→孫文・梅屋庄吉と長崎
1942年に新街口へ移動。下記はその当時(40年代?)の新街口と銅像の写真です。
その後、文化革命で破壊され、中山陵に移動。
1985年に南京中山記念館に移動された。→下記の左写真
1996年に新しく建造されたものが, 新街口に設置された。地下鉄工事期間中は倉庫に保存されていた。
2010年地下鉄の完成後、新街口に像が復活した。→下記の右写真
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