勘太郎爺奮闘記

滞在合計26ケ国、21年の海外生活が終りました
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明治維新150周年 ペリー来航の様子を伝える全長約14メートルの「金河奇勝」絵巻

2018-04-20 | 歴史・文化

平成30年(2018年)は明治維新(1868年)から数えて150年になる。

 

神奈川県立公文書館企画展示「明治維新と神奈川県」 を訪問してきた。1853年のペリー来航の様子を伝える全長約14メートルの「金河奇勝」絵巻が初公開されている。

神奈川県立公文書館の入口

 

「金河奇勝」とは「かながわ」の「珍しい景色」という意味で、春木南溟(はるきなんめい)の筆による横浜開港絵巻です。

南溟は幕末の南宗画(南画)家で精密画に長じていた。

 

この絵巻では、米船や乗組員の服装、彼らの持ち物(鉄砲・サーベル)などがとても細かく丁寧に描かれている。

 

 

展示の様子

 

展示されている絵巻の拡大映像

 

絵巻に描かれているペリーが乗っていたポーハタン号。(非常に精密にスケッチされていることがわかりますね!!)

 

1853年7月8日(嘉永6年6月3日)に、マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻(いわゆる黒船)が、浦賀に来航した。ペリーは幕府に開国を促す大統領フィルモアの親書などを手渡し、開国を要求したが、幕府は「将軍が病気であって決定できない」として、返答に1年の猶予を要求した。

 

 

 

1854年2月13日(嘉永7年1月16日)、ペリーは琉球を経由して再び、日本に来航した。幕府との取り決めで、1年間の猶予を与えるはずであったところを、あえて半年で決断を迫ったもので幕府は大いに焦った。→黒船来航の歴史参照

この折は、浦賀でなく、横浜の本牧沖に停泊していたがことが、絵巻から読みとれる。

 

約1か月にわたる協議の末、幕府はアメリカの開国要求を受け入れた。

1854年3月31日(嘉永7年3月3日)、ペリーは約500名の将官や船員とともに武蔵国神奈川近くの横浜村(現神奈川県横浜市)に上陸し、日米和親条約(神奈川条約)を締結した。日米合意は正式なものとなり、3代将軍徳川家光以来200年以上続いてきた鎖国が解かれた。

 

亜墨利加条約の次第

 

 

 

 

金河奇勝の画像コピーはこちらから見れる

本件のNHKニュースの映像→こちら

 

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