伊勢型紙の産地である三重では
お目にかかることができない未知の生物
「染め屋さん」
を求めて、都会のど真ん中をさまよう型彫り修業3年目のペーペー。
知らない街
知らない駅
約束のない訪問先
スーツケースを転がす音が閑静な住宅街に響く。
なんだかより一層心細くなるペーペー。
なぜ都会をさまよう事になってしまったのか......
→→→時間を少し巻き戻しましょう。
きっかけは、三重の地域情報誌「freeK」さんへの掲載でした。
それを見て県の方から連絡があり、県が行う三重テラス(日本橋)のセミナーへ型紙の解説役に修業中の身の那須が抜擢され、
御年30過ぎて
人生初の東京に
降り立つこととなりました
(freeKさん、ありがとう!)
どうせ東京まで行くなら、ついでに何か型紙の勉強になるところへ寄り道しようと調べてみた所、
東京は着物の産地
染めの工場がたくさんあるではないか!!
これはぜひとも行ってみねば。
そして胸にかかる暗雲
『型紙を使う人はすでに絶滅したのでは無いか』
をきれいさっぱり払拭せねば!
と意気込んだわけです!
とはいえ、もともと人見知りで人嫌い、おまけに一人旅もしたことがない。
「会ってもらえるのだろうか」
「何と声をかければよいのか」
「いきなり来るなと怒られるかもしれない」
負の妄想は膨らんでいきます。
それより怖いのは...
「今日び型紙なんて使ってるとこなんて無いんじゃない?」
の死刑宣告 😇 (チーン)
たいして振り絞る程も持っていない勇気を
なんとか絞り出して飛び込んだ
未知の街、未知の人々。
〜そして冒頭に戻る〜
目当ての染め屋さんは工房がお休みだったので(いつが休みなのかも未知の生物←調べておけよペーペー)
意気消沈しながらトボトボと歩く真っ昼間の住宅街。
ふらりと立ち寄った和装関連とおぼしきお店。
女性オーナーに身の上話をするうち(するか?普通)
知り合いの染め屋さんを紹介して連絡まで入れてくださることに!
😭 😭 😭
また、お邪魔した染め屋さんがほかの染め屋さんを紹介してくれたこともありました。
😭 😭 😭
想像もしなかった都会の人の優しさに救われつつ、なんとか染め屋さんという未知の生物とあいまみえる機会を作る事ができました。
いくつかの染め屋さんは、一歩足を踏み入れたその部屋に
生地を貼るための長板が並び、型紙が吊るして干されているように見えました。
つまり 型紙はまだ使われていたわけです!
もちろん最盛期に比べたら露ほどの量かも知れませんが...
どこの馬の骨とも分からぬペーペーを、
いずれも老舗であろう染め屋さん達(これ伝統工芸の怖い所😅 )は大切な仕事場に入れてくださり、お仕事の現状についてお話してくださいました。
突然の訪問にお叱りモードの染め屋さんもおられましたが、(ほとんどはアポ済で訪問してます)三重から来た事を告げると驚き、見本に持参した型紙や染めた布をみた上で
「せっかく遠い所を来たんだから何かお願いしなくちゃなー」
と最後にはお仕事の相談までして頂く事もありました。
😭 😭 😭
「頼みたかったのに今までお世話になってた型屋さんが辞めちゃって困ってたんだよね」
「やっぱり型紙があっての染め屋だからさ」
まだ伊勢型紙は必要とされている!!
この事実にどれだけ勇気がもらえたことか!
未知の生物「染め屋さん」は確かに存在していました。
予想外の優しさを携えて😌
こうしてご縁がご縁を呼び、染め屋さんというお得意先探しを続けるうち、
業界では希少な同世代の染め屋さんや図案師さんとの出会いもありました。
そのつながりは『カタコトの会』が結成された事で更に具体化。
ともにアイデアを出しながら着物や帯、浴衣や団扇などさまざまな作品を生み出し始めています😊
▷カタコトの会
型紙を作り、使い、愛する伝統の染織の作りてや伝えてが集まるグループ
今まで、
型彫師にとって、染め屋さんは未知の生物でした。
自分の彫った型紙がどこで使われ、完成した反物を見たことがないという職人さんがほとんど。
それはたくさんたくさん仕事があった時代だったから。
限界まで需要が減り尽くした今、
型紙はなんの為にあるのか
彫師は何を求められているのか
型紙で、型染めで、自分が何を作り出せるのか
を考える事を私は大切にしたいと思っています。
その為にも
自分の作業工程の領域以外の「未知」をこれからも「既知」に変換いきたいです😊
長文かつ駄文を最後までお読み頂きありがとうございますm(_ _)m
それでは良い夜を〜(^o^)/