アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

トランジスタラジオと深夜放送

2019-10-25 06:00:00 | ノスタルジー

以前の記事で、昔のトランジスタラジオのことを紹介したが、それがきっかけでいつものようにノスタルジーにハマッてしまった。

  

 小生が深夜放送なるものを初めて聞いたのは中学一年のときのことだった。忘れもしないオールナイトニッポンの水曜日、パーソナリティは高嶋秀武だった。

 今時の家庭にはトランジスタラジオがほぼ間違いなくあり、小生の家にも古いのがあり、それでガーガーと入る雑音と戦いながら聴いたのを覚えている。

 

 となれば・・・で、いいラジオがほしくなった。その頃の学校での話題といえば、前夜のラジオ番組の話だったりするが、それと連動して持っているラジオの話題も増えた。

 まず父親の知人の関係で、日立の製品「音楽専用ラジオ」というのを勧められた。結論からいえば、性能は抜群だったのだが、形がダサかった。

 

 当時はいろいろなラジオ番組のスポンサーに日立・ソニー、それにナショナルなどが入っていて、トランジスタラジオのCMが花盛りだった。

 音楽専用ラジオも当然CMされていたが、それがなんとも地味なものだったこともモチベーションにならなかった。

 

 そんな中、当時は高性能=ソニーというイメージがあり、ソニーの11(イレブン)シリーズが高い人気を誇っていた。(上写真)

 だが、基本性能よりもとにかくカッコイイのが欲しかった小生、選んだのがナショナルのGXワールドボーイというラジオだった。

 

 スイッチ類が何しろかっこいい。そしてデザインもあか抜けているうえに、少年の心をくすぐるギミックがあった。

 それがスリープタイマーだ。深夜放送を聞きながら、寝てもラジオが切れてくれる・・・これはたまらない仕掛けだった。

 

 さらに、ハードケースがついていて、外に持ち出したときにも安心だったりした。性能的にはソニーや日立のものより劣っていたようだが、そんなことはどうでもよかった。

 当時の伊豆で中波を聞くのはなかなかつらかったし、深夜になると怪しげな中国の放送が混信して聞こえなくなることも・・・

 

 それでも古いラジオに比べると圧倒的に聞きやすくなった。今から思えば、あの頃深夜放送など聞かずに勉強していれば、もうちょっと成績もよくなったのかも・・・

 って、今から言ってもしかたないところ。まあ小生の辞書に、「努力」という文字はないのだから、深夜放送にハマらなくても、結果は同じだったのだろうなあ。

 

 またその頃の少年にとっては、もうひとつカセットテープレコーダーというのも三種の神器みたいなものだった。

 今でこそマイク内臓は普通だが、当時マイクを内蔵したモデルはソニーの独壇場だった。だが、ラジオでは我を通した小生、テープレコーダーでは父の勧めで日立にした。

 

 だから何だというわけではないのだが・・・ちょっとしたノスタルジーのままつれづれに・・・(汗) 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 浜新で旬を満喫 | トップ | 故郷で独演会? »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
レディオ文化 あまりの懐かしさに (大石良雄 本名)
2020-02-05 10:36:57
拝啓 よろしくお願いいたします。
自分が、俗に言われる深夜放送とかBCLに興味関心持っていたのはやはり中学時代1970年頃からです。
当時は「映像を記録する俗称VTR=(アメリアアンペックスの登録商標)等は夢、、、、せいぜい中学校の放送室に「オープンリール型の統一1型の白黒ビデオデッキ」がやっと1台在るか?無いか?でしたね。
当然何かの記録=TV番組やレディオ番組等は「サイトヘッド様の言われる高性能レディオ=しばらくすると俗に言うラジカセ」なんかが出てきて好きな番組=ドラマ、歌番等を録音していましたね。レディオ本体にカセットやマイクが無い場合「別売りの安物マイクを取り付けて、当時のTVの前のスピーカーに近づけて音を録音」していました。この場合「周囲の雑音をかなり拾ってしまう」ために、お袋から「TVばっか見ねぇで勉強せえぃっ」なんてぇ怒鳴り声が一緒に録音されていたり、、、そのうちに「ラジカセのマイクジャックとTVのイヤフォンジャックを接続コードで繋ぐ 俗称接続録音」を覚えてからは、それなりに良い音?で録音される様になりましたね。それとですね、、、サイトヘッド様も経験されたと推測しますが「映画館に小さなラジカセ持ち込んでこっそり音を録音した」なんてぇ事もありましたね。
最後にこれをやったのは確か1973年の終わり頃「天地真理主演映画の虹を渡って」でした。 確かに音は悪くモノラルでありその後のテープの保存も大変難しかった、、、、しかしながらそれから数十年経過し、自分は某レコード会社の「懐かしのヒーロー特集のレコード化に全面協力」した際、これらの古い音源が異常な程の価値を持ち、得がたい遺産資産である事に気づかされました。つまり当時の番組の大半は、TV局はもちろん製作会社も既に無かったり、素材のフィルムやテープも破棄されていたり、、、結局我々場末の視聴者の力を借りなければ何も出来なかった、、、のがメジャーの姿でした。大半の皆様は「当時の番組などを、心の中で、記憶のみに留められ」ておられる様ですが、自分は何としても後々まで残し好きな時に聴き狂いたかった、、、、、随分馬鹿にされアホ扱いもうけましたね。しかし現在、ネットのようつべ等を見ますと「自分と同じ思想と執念で音声や映像を残し、公開して下さる稀なる粋人」が多いのには本当に感激で頭が下がります。
かつて「日本の教育は私学無くして始まらない」と誰かがおっしゃいましたが、実は「日本の文化は,ど底辺の一般コンシューマーの努力無くしては始まらない」のだと確信しております。今後もサイトヘッド様の有意義なお話、期待しております。   敬具
返信する
録音のための悪戦苦闘 ()
2020-02-05 11:44:12
大石さま
 いつもありがとうございます。今日のコメントの「あるある」は、テレビから音楽番組の歌などを録音するときの悪戦苦闘でした。その後、接続録音を知ったときは、目からうろこの状態でした。
 周囲の雑音は入らなくなりましたが、当時の我が家のテレビにはイヤフォン端子しかなく、コードをつなぐと音が聞こえなくなるため、親たちのひんしゅくを買い、録りたいタイミングでコードをつないだり・・・いずこも苦労していたんだなあと。

 さて、小生の知人で古い落語などを大量に持っているマニアがいまして、先日某名人の全集を作るにあたり、何本か音源を提供したと聞きました。
 大石様がおっしゃるように、こうした古い音源が今になって脚光を浴びるというのは、小生の周囲でもけっこう見聞きします。

 それではまたのお立ち寄りを・・・
返信する

コメントを投稿

ノスタルジー」カテゴリの最新記事