5月31日のことである、テレビを見ていたら、今から98年前のこの日、代々木の空にイタリアからはるばる飛行機が飛んできたというのを紹介していた。
その内容についてはこちらの記事をご覧いただきたい。かいつまむと、ローマを2月14日に出発し、5月31日に到着したというもの。
その距離16700km、42か所を経由したという。当時のプロペラ機の航続距離は極めて短く、当然有視界飛行だったので、驚くべき時間がかかったというわけ。
日本では大正9年のこと、大変な歓声をもって多くの住民が飛行機を迎えたという。そのことを当時の新聞で伝えていたのが画面に出ていたが、小生の目がある一点に釘付けになった。
それが「万里の壮図」(ばんりのそうと)という言葉だ。おお・・・この言葉は・・・小生の出身高校の校歌の中にあった言葉ではないか。
その言葉が当時の新聞には書かれている・・・つまり当時は普通に使われていたという証拠だ。逆に今の新聞にこの表現が出たら、おそらく苦情が殺到するだろうなあと。
そして、無性に校歌の歌詞を思い出したくなった。かなりの部分は覚えていたが、あやふやなところも多く、いろいろなところからようやくゲットしたのがこれだ。
読者のほとんどの方にはシラッとしてしまうだろうが、まずはご覧いただこう。文化財のような歌詞だ。
ちなみに校名もまったく入っていない・・・
望む峯巒 幾千重か 雲居につづく天城山 繁山かくれ潜めども 万里の壮図裡にあり
離なる鳳の巣立ちして 何日か雄飛を試みん
黒潮遠く流れ去る 沖は果てなき太平洋 荒磯波の立つところ 偸安の夢誰か見る
伏したる竜も水を得て 雲を起さん代ならずや
万里の壮図懐く身に 望め天城の峯幾重 偸安の夢襲うとき 見よや果てなき太平洋
海や淼々山や巍々 山と海との国にして
おそらくほとんどの方が読めないはず。たとえば、一番の最初は「のぞむほうらん いくちえか」だし、三番の最後は「うみやびょうびょう やまやぎぎ」だ。
調べたところ、この校歌明治42年に制定されていた。小生の母校は明治12年の創立だったので、創立30周年に作られたのかと。
ただ、その母校も今はなく、近隣の学校と合併し校名も変わり、校歌も新しくなってしまった。
なんと今の校歌、作詞作曲は加山雄三だという・・・むむ、明治は遠くなりにけり・・・って当たり前か。
この校歌は冒頭の飛行機が日本に来る11年前に制定されていたことを知り、改めてトンデモなく古い学校に通っていたことを認識してしまった。
だからなんだというわけではないが・・・ちなみに小生が古臭いわけでは・・・あっ、古臭いっすね、やっぱり(苦笑)
小生もそうでした・・・またこれを機会にお気軽にお立ち寄りのほど。
コメントありがとうございます。
かなり前の記事を掘り起こしいただき、恐縮です。そして、この記事をどのように探したのかも気になりますが、ご指摘の通り、下田北の出身です。
小生もこの記事を書くにあたり、校歌が変わったことを知り、ちょっと寂しかったのを覚えております。
といいつつ、毎日くだらないネタを中心に更新していますので、これからもよろしければお立ち寄りのほど。
この3月の入試では、普通科が4クラスで定員160名。理数科が1クラスで定員40名。
寂しい限りです‥‥
といいつつ、このブログで下田北の方と接点が持てたことは嬉しいです。
今はどちらにいらっしゃるかは存じ上げませんが、小生は年に数回地元でささやかな恩返しイベントをやっております。