アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

日本人は400年進歩していない

2016-05-26 10:11:46 | つれづれ
歴史マニアの小生に、ついついそそられる記事が目に入ってきた。まずはこちらをご覧いただこう。「早すぎた現代人・石田三成が最も苦しめられたのは◯痛だった?」とある。
 
 以前の記事で石田三成に光を・・・と取り上げた小生なので、彼についての議論を重ねることは避けておきたいが、この記事で納得したのは三成が現代人というところ。
 さらに一歩進めると、当時から日本人は何も進歩していないという思いになった。つまり、三成がタイムスリップしても、そのまま現代でも通用するとイメージできるのだ。

 三成の役回りは、今でいう事務次官あたりのものかも知れないが、この役職がこんなに活躍するのも日本ならではのものかと。
 さりながら、当時の日本には千年に一人の天才の信長がいて、現代人三成がいた・・・いや正しくは、こういう人材が活躍する環境があったというべきか

 そんな中、偉大な凡才、家康が天下を取る・・・この家康というと、一口にいうと「日本人のDNA」をとことん理解し、それを社会の仕組みに活用した人物なわけだ。
 実質三成の成果である、検地の成果を活用し、大名の国替えを頻繁に実施。このことで、大名がサラリーマン化した。

 さらに後世の参勤交代で単身赴任と東京への一極集中を確立する。何しろ本妻は江戸にいるのだから、わずかの間に大名のほとんどは江戸っ子になってしまい、国への愛着は薄らぐのは当然のことだ。我々は、国から江戸に長期出張というイメージを持つが、その実大名に限っては江戸がホームになっていくわけで・・・
 そんな大名にとっては目立たず、ぼろを出さないことが大切になっていく。

 町人にとっても五人組や村八分などの相互監視の仕組みは日本人の特性にフィットし、今でも世間体とか、冠婚葬祭の日取りとかこだわるのは、この辺が前提にあるようだ。
 皮肉にもトヨタが、日本人の感性にとことん訴えるクルマ作りをしていることが徳川と重なる。かつての「いつかはクラウン」というラインナップなどだ。

 ついでにいうと、あらゆるところからケチがつかないことを前提に作られるクルマで、目立ちすぎないとか、燃費や維持コストが・・・と。
 燃費といえば、世界中でVWが苦戦している・・・と我々は思ってしまうが、現実には日本だけだそうだ。しかも、日本導入モデルには影響ないのにも関わらず。

 日本人にとっては、現実がどうの・・・というよりも、「なんで、この時期にあんなメーカーのクルマを」と刺されることの方が大きいということだ。
 車の実質の価値でいえば、燃費よりもタカタのエアバッグの方が大事なはずなんだが・・・タカタのエアバッグのマスコミの取り扱いもあるが、ついぞそのせいで、このメーカーが苦戦しているなんて話は聞かない。

 政治でもそうだ。某県の国会議員は、江戸時代のお殿様からの流れで、いまだにその末裔がずーっと当選し続けているという。
 もちろん、その人がいいのだろうが、それ以上に何があっても選挙のときは「あそこの○○家の人に」という意思があるとしか思えない。

 この国にとっては、ものごとを変えることが極端に嫌な人たちが多いということだ。高校時代に日本にはびこる政治的無関心層というのを習った。今でも覚えている。
 いわく「忙しくて、政治どころじゃない。そういうことは、偉い人に任せておけばよい」という人で、こういう人は無関心ながら選挙には積極的に投票するという。

 当然投票する相手は、昔からの何代目であり、実は自分たちにとっては何のメリットももたらさない人なのにも関わらずだ。
 欧米から不思議に映っていることは、まさにここで、搾取されている人が搾取側の政策を取る人にどうして投票するのか? と。クーデターやデモなどでもそうだ。この国ではお上(←この言い方もすごいが)にたてつくことは、何より世間様が許さないのだ。

 この日本人の特性を活かしきった徳川もすごいが、もっとすごいのは日本人だ。何しろ、この400年間、まったく進歩していないのだから・・・
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