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兵庫県にある竹田城は、天空の城なんて呼ばれ、最近では人気が集まりすぎて環境が荒れているという話も聞く。
その竹田城の石垣の修復に、戦国時代に多くの名城の石垣造りに関わった石工職人の集団「穴太(あのう)衆」の子孫が携わるというニュースが出ていた。
穴太衆といえば、映画「火天の城」にも登場していたが、伝説の集団にして、実際に安土城の建設などにも力を発揮していた。
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穴太衆の起源は、788年、最澄が比叡山延暦寺を開いた際、急斜面の基礎工事や参道工事に動員された石工職人集団とされる。現在の大津市穴太付近に拠点を置いていた。
その子孫である厚生労働省の「現代の名工」にも選ばれた建設会社会長、粟田純司さんらが、今回の修復に取り組むという。
「城の石垣を忠実に再現して200年は持たせたい」と意気込んでいるというから頼もしい。
粟田さんは「元々竹田城の石垣にも『穴太積み』が採用されており、修復に関われるのは縁を感じる。穴太衆の技術を結集したい」と話している。
なかなか歴史マニアとしては、興味をそそられる話である。野面積みとか石垣にもいろいろな様式があるが、穴太積みというのがあるのは知らなんだ。
その技術の高さは、記事にあるように、コンクリートを上回る強度を実現したというからすごいものである。
こんなことを聞くと、はたして日本人は進歩しているのだろうか・・・なんて考えてしまう。
とりあえず、修復が終わったら、一度見にいきたいものである。
その竹田城の石垣の修復に、戦国時代に多くの名城の石垣造りに関わった石工職人の集団「穴太(あのう)衆」の子孫が携わるというニュースが出ていた。
穴太衆といえば、映画「火天の城」にも登場していたが、伝説の集団にして、実際に安土城の建設などにも力を発揮していた。
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穴太衆の起源は、788年、最澄が比叡山延暦寺を開いた際、急斜面の基礎工事や参道工事に動員された石工職人集団とされる。現在の大津市穴太付近に拠点を置いていた。
その子孫である厚生労働省の「現代の名工」にも選ばれた建設会社会長、粟田純司さんらが、今回の修復に取り組むという。
「城の石垣を忠実に再現して200年は持たせたい」と意気込んでいるというから頼もしい。
粟田さんは「元々竹田城の石垣にも『穴太積み』が採用されており、修復に関われるのは縁を感じる。穴太衆の技術を結集したい」と話している。
なかなか歴史マニアとしては、興味をそそられる話である。野面積みとか石垣にもいろいろな様式があるが、穴太積みというのがあるのは知らなんだ。
その技術の高さは、記事にあるように、コンクリートを上回る強度を実現したというからすごいものである。
こんなことを聞くと、はたして日本人は進歩しているのだろうか・・・なんて考えてしまう。
とりあえず、修復が終わったら、一度見にいきたいものである。
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