先日、駅構内の本屋さんで見かけてついつい買ってしまった本、それが「京都ぎらい」という本だった。井上章一氏という方の著で、朝日新書から出ている。
表紙には「千年の古都のいやらしさ、ぜんぶ書く」とある。かつて京都に勤務したことのある小生、懐かしさとともに、おそらくこんな内容か・・・と思いつつ購入した。
内容についてこちらで書くのはご法度だろうからやめておくが、「そうそう」とうなづくものが多かった。
小生が住んでいた借り上げ社宅は、いわゆる山鉾町だった。山鉾町とはこちらをご参考にしていただくが、八坂神社の氏子町で、地図の赤枠ゾーンだと思えばよい。
要は、京都のど真ん中であり、その実、狭義の京都ゾーンということになる。京都に勤務していたとき、「五条より南は京都ではない」と言われたことがあった。
これは一番排他的な定義だが、よく言われる洛中(市内)と洛外(市外)の境についてはけっこう意識させられるシーンがあった。
時代によって洛中の範囲というのは変わっていたようだが、おおむね地図の青枠のゾーンというべきだが・・・京都以外の人間からすると、その範囲の狭いことに気づく。
ある京都の人が、こんなことを言っていた。有名な「女ひとり」という歌があるが、あれは京都の人間の詞ではないと。
そう歌い出しの歌詞、「京都大原三千院」というのはありえないというのだ。ここまでの文章でおわかりの通り、大原は京都ではないからだ。大原どころか、嵯峨も京都ではないし、金閣寺も京都ではない。
比較すべく江戸について考えてみる。ご存じの方も多いと思うが、江戸時代の江戸の範囲も時代によって多少の変化はあるが、四宿と呼ばれる品川・千住・板橋・新宿は江戸の外になる。だから今都庁のあるところは江戸ではない。
品川も江戸ではないわけでかなり狭い。が、歴史が違うとはいえ、今杉並区や世田谷区に住んでる人に対し、江戸ではないなんて差別意識は本心からもないはずだ。
いや、深川や浅草あたりの人は思っているかも知れないが、それを感じるシーンはまずないと思われる。
京都の京都らしいところはまさにここからスタートしている・・・小生は幸いにして京都とはまったく縁のない人だったので、それを意識することもなかったが・・・
とはいえ住んでいた地域は、クリーニング屋が土日が休みで平日は9:00~17:00までの受付だったくらいで、単身赴任のサラリーマンにはどうにもつらいところだった。
また会社が借り上げているにも関わらず、個人が契約の連帯保証につけさせられ、さらには入居にあたり、顔写真と戸籍謄本の提出を求められたことは今でも覚えている。やはり敷居の高い町であった。
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