読者の皆さんには、とりあえず録画しておいて結局ずっと見ていない・・・そんな映画はないだろうか。小生にもあるが、先日たまたま時間ができ、その中のひとつ「あん」をようやく見ることができた。
この映画、樹木希林最後の主演作として話題にもなったもの。ストーリーについて少し触れても、もはやご法度にはならないだろうから、ストーリーに沿いながら紹介しよう。
物語は永瀬正敏が店長(といってもワンオペで、かつ雇われ店長)を務めるどら焼き屋さんが舞台。彼は、わけあってここで仕事をしているが、それほどやりがいも感じていない。
そこにバイトの求人募集を見たと言って入ってくるのが樹木希林。いかにもみすぼらしく老齢な彼女を見て、ていよく断ろうとする店長に、彼女は食い下がる。
「以前からこういうところで働きたいと思っていたのよ」とか「時給は300円でいい」などと・・・しかし結局断られる。
さらに彼女はあきらめず、自分の作ったつぶあんを食べてみてくれと置いていく。永瀬が食べたそのあんは、そのお店のあんなどとはくらべものにもならないほどの絶品だった。
晴れてバイトになった樹木希林だが、彼女を通じて本物のあん作りの手間暇を知り、少しずつ永瀬も変わっていく・・・
当然、どら焼きの味も激変し、やがて行列のできる人気店になるのだが・・・樹木希林の手に障害に気づいたお客さまが、彼女は「らい」(~あえて映画の表現にならいました)ではないかと疑い、あっという間に客足は途絶える。
雇われ店長の永瀬は、オーナーから樹木希林を解雇せよと指示される。苦悩する店長に気付いた彼女は自ら身をひく。
後日、店長はお店の常連の女子中学生と彼女の住む全生園を訪ねる。そこにはお友達の市原悦子もいて、生い立ちなどを知る。
本当なら、言われもない差別や偏見に不平不満を持ってもおかしくない彼女たちだが、生きるということの意味を淡々と語る姿に店長と女子中生は感動する。
それからしばらくして・・・さすがに、ここからはストーリーについては控えておきたいが、ポスターにもある「私たちはこの世を見るために、聞くために生まれて来た。だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ。」というセリフが心にしみる。
ご存じの方も多いと思うが、ハンセン氏病(らい)に関する法律が改定されたのはつい最近のことだ。かつての隔離政策が誤っていたことが判明してなお、国は長く法律や政策を改定しなかった。
さらに言えば法律が変わっても、この国の国民は、患者はもとよりその家族を含め、いわれもなき偏見と差別の目で見るのが現実だ。
ストーリーの中で小生も知らなかったことがいくつかあった。たとえばハンセン氏病患者の方々は墓すら作ることを許されなかったという。
小生は以前所沢に勤務していたことがあり、全生園の近くもよく通っていた。中に入る機会はなかったが、この映画で改めて考えさせられることがいくつもあった。
さらにいえば、この映画は樹木希林最後の・・・という枕詞はなくとも、彼女しかできない役だったと。
当時、彼女が自分の死期を悟っていたかどうかはわからないが、全体としては淡々としたストーリーのこの映画ではあるが、彼女からの強烈なメッセージのように感じた。
思えば、市原悦子ももう鬼籍に入ってしまったわけで、今後こうした役を演じられる役者が出てくるのだろうか・・・なんて。
映画のラスト、写真の永瀬店長が登場する左上写真のシーンに、激しく感涙にむせた小生である。
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