「甲子温泉 大黒屋」に宿泊した小生、お宿に行く前に立ち寄ったのが小峰城だ。実は、こちらは、大黒屋に初回来たときに、お迎えの車で近くを通った。
通ったというのは、2015年当時は東日本大震災の被害で石垣などが崩れたため、その修復中で見学出来なかったのだ。
今回は修復も終わっているので・・・ということで車を停める。大きな公園として公開されていて、入場料もかからない。
入り口前も大きな広場になっていて、なかなかの規模であることがわかる。そしてこちらの写真でイメージが伝わるかと思うが、大きな石垣の上に小ぶりな天守? が見える。
実は、これは天守ではなく三重櫓というもの。江戸時代の築城令で天守を築くのが禁じられたため、実質天守として三重櫓を作る例が多かった由。
この三重櫓を含み、四角形に形成された土塁の内側が本丸になっている。今は建物はないし、土塁の上にかつてあった他の櫓も跡だけだが、往時を偲ばせてくれる。
さて、では三重櫓に登ってみよう。こちらは新しく建てられたものだが、中の通し柱などは戊辰戦争の頃のもの。
その時の弾痕が柱に残っていたりする。入場はフリーだが、係員がいて、階段の昇降などを整理している。
というのも、この階段が戦国時代などのお城によくある極めて急な階段。登りより下りが怖い。
高さはそれほどではないが、最上階に登ると那須連峰がよく見えた。直接比較したわけではないが、弘前城の天守あたりより大きいかも・・・と。
さて、白河といえば、二本松同様東北の要衝で、白河の関が古代からあることでもわかるように、関東と東北の境でもある。
こちらは、城主として元は結城氏がいたが、江戸時代に入ってからは、丹羽氏から始まり、榊原・本多・松平・松平・松平・阿部と続いた。
名前を見ればわかるように、幕府にとっていかに重要な拠点と考えていたかがわかる。二本松・白河・宇都宮が対伊達や上杉に対する防御線になっていた形。
小芝風花の大奥では悪役になっていた松平定信だが、史実では寛政の改革を仕切ったし、藩主としても白河の地にいろいろな足跡を残している様子。
二本松城とともに、こちらが日本百名城になっているのもむべなるかなと。
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