先日、大王の石棺をソリで運んだという話を載せたが、その木ゾリは「修羅」という名前がついている。今日はこれについて書きたいと思う。この修羅は皆さんご存知、「修羅場」から来ていた。
悲壮的で激しい戦いの場面を「修羅場」と言うが、歌舞伎などの古典芸能で、合戦の場面や、男女の激しいやりとりの場面を「修羅場」と呼んだことに由来する。
語源は古代インドの仏教の神話で、阿修羅王(あしゅらおう)と帝釈天(たいしゃくてん)の争いの場面を、その激しさから「修羅場」と現したことだという。
魔神の阿修羅王は、神である帝釈天との幾度にわたる戦いに敗れ、仏法の守護神に加ったのであるが、さすがの帝釈天も一瞬揺らいだといわれている。
すなわち、何事にも動じないとされた帝釈天を、唯一動揺させた魔人が阿修羅王であったことから、「たいしゃく(帝釈)=たいせき(大石)を動かす」木ゾリのことを「修羅」と呼ぶようになったというのだ。
うーむ、これはいつぞやの古典的オヤジギャグのノリではないか!なんか意味がありそうでないという日本的な落とし噺である。
小生この修羅については、石舞台古墳に行ったときに、そこにいた謎のガイドさんに教わったが、修羅の語源は知らなかったようであった。
それが証拠に、小生が「これを修羅というのは、海は船で石を運び、陸は船の代わりにこれってことで、金毘羅船船シュラシュシュシュから来ているんでしょうか」とおバカなことを言ったときに、そのガイドさん答えなかったのだ(汗)
もっとも、そのガイドさん頼みもしないのに、みずから近寄り説明し始めていた。あまりのおバカにあきれかえっていただけかも(苦笑)
この修羅、藤井寺市で大量に見つかったことでも有名だが、藤井寺といえば、応神天皇陵のあるところでも有名だ。
応神天皇の生前の名前は、「ホムタワケ」という。これが、「本タワケ!」に聞こえる今日の桂である(反省)
悲壮的で激しい戦いの場面を「修羅場」と言うが、歌舞伎などの古典芸能で、合戦の場面や、男女の激しいやりとりの場面を「修羅場」と呼んだことに由来する。
語源は古代インドの仏教の神話で、阿修羅王(あしゅらおう)と帝釈天(たいしゃくてん)の争いの場面を、その激しさから「修羅場」と現したことだという。
魔神の阿修羅王は、神である帝釈天との幾度にわたる戦いに敗れ、仏法の守護神に加ったのであるが、さすがの帝釈天も一瞬揺らいだといわれている。
すなわち、何事にも動じないとされた帝釈天を、唯一動揺させた魔人が阿修羅王であったことから、「たいしゃく(帝釈)=たいせき(大石)を動かす」木ゾリのことを「修羅」と呼ぶようになったというのだ。
うーむ、これはいつぞやの古典的オヤジギャグのノリではないか!なんか意味がありそうでないという日本的な落とし噺である。
小生この修羅については、石舞台古墳に行ったときに、そこにいた謎のガイドさんに教わったが、修羅の語源は知らなかったようであった。
それが証拠に、小生が「これを修羅というのは、海は船で石を運び、陸は船の代わりにこれってことで、金毘羅船船シュラシュシュシュから来ているんでしょうか」とおバカなことを言ったときに、そのガイドさん答えなかったのだ(汗)
もっとも、そのガイドさん頼みもしないのに、みずから近寄り説明し始めていた。あまりのおバカにあきれかえっていただけかも(苦笑)
この修羅、藤井寺市で大量に見つかったことでも有名だが、藤井寺といえば、応神天皇陵のあるところでも有名だ。
応神天皇の生前の名前は、「ホムタワケ」という。これが、「本タワケ!」に聞こえる今日の桂である(反省)
争いをするのは相手あっての事。
阿修羅王と帝釈天が争ったのに、なんで「修羅場」って、阿修羅王の方だけが残ったんでしょ。
魔神破れて仏法の守護神になる。。。ですか。
雪ダルさん。。。
きっと私達が見る阿修羅像は、守護神になった後のものだから。。。かもしれませんよ。なんて。。。違うかな(笑)。
↑のように書こうと思ったら、書いてありました(爆
とても表情が人間くさくて、説教くさくない顔なので、興福寺阿修羅像が好きです。
やさしい顔だな~、何か憂いを含んだ顔だな~と思います。
「帝釈天も一瞬揺らいだ」という話を知っていても、そんな激しい部分を持っていることと、どうしても、結びつかないんですよ。
もっと激しい表情の阿修羅像というが、あるのでしょうか。
タワケ、名古屋弁らしいですね。