法隆寺の夢殿に安置されている秘仏、救世観音像が5月18日まで特別公開されている。この観音像はあまりに有名だが、謎にも満ちている。
こちらの記事をご覧いただこう。この観音は739年に八角堂の夢殿に納められたが、造仏推定年代は629-654年という。
伝説では聖徳太子の姿を映したものとも言われているが、造られた年代的には聖徳太子の没年の622年と矛盾しない。
ただ、逆に言うと法隆寺に納められるまでの約100年はどこにあったのだろうか・・・それも謎ではある。
以前の記事でも紹介したが、ビッグコミック連載の「天智と天武」もいよいよ終盤に差し掛かってきており、救世観音が入鹿を模したものとなっている。
この物語では、天武は入鹿の息子で天智の異父兄弟という設定となっている。そして入鹿こそが聖徳太子という設定なのだが・・・
入鹿が聖徳太子だとすると、天武との親子関係を問うには少し年代がややこしい。645年に死亡した入鹿の子供が天武というのはまだしも、聖徳太子との差は大きすぎる。
ただ、用明天皇の不存在はそれなりに説得力があり、それに続く崇峻もいなかったとなると、聖徳太子の設定年代もずれてくる。
聖徳太子=蘇我馬子説の方が時代的には合うが、また馬子の子が入鹿という説もあるやに聞く。確かに626年没とされた馬子の子が入鹿なら年代も合う。
聖徳太子=蘇我馬子なら、救世観音の造られた年代とも整合する。入鹿の没年でも合致するのだが・・・
逆にいうと、聖徳太子が架空の人物で、馬子と入鹿の投影だとすると、すべては包含されるのだが・・・ビッグコミックの展開が楽しみだ。
さて、その一方で春日大社も20年ぶりの式年行事の最中で、今特別公開の最中のようだ。こちらは藤原氏ゆかりの神社で、蘇我から見ると敵対側だが。
救世観音とこの二つがいっぺんに見られる今は、なかなかないチャンスかも知れない。これはちょっとプランを立ててみようかしらん・・・
そうだ・・・奈良行こう・・・かな お世話になった、あの恩師にもお線香をあげながら・・・
こちらの記事をご覧いただこう。この観音は739年に八角堂の夢殿に納められたが、造仏推定年代は629-654年という。
伝説では聖徳太子の姿を映したものとも言われているが、造られた年代的には聖徳太子の没年の622年と矛盾しない。
ただ、逆に言うと法隆寺に納められるまでの約100年はどこにあったのだろうか・・・それも謎ではある。
以前の記事でも紹介したが、ビッグコミック連載の「天智と天武」もいよいよ終盤に差し掛かってきており、救世観音が入鹿を模したものとなっている。
この物語では、天武は入鹿の息子で天智の異父兄弟という設定となっている。そして入鹿こそが聖徳太子という設定なのだが・・・
入鹿が聖徳太子だとすると、天武との親子関係を問うには少し年代がややこしい。645年に死亡した入鹿の子供が天武というのはまだしも、聖徳太子との差は大きすぎる。
ただ、用明天皇の不存在はそれなりに説得力があり、それに続く崇峻もいなかったとなると、聖徳太子の設定年代もずれてくる。
聖徳太子=蘇我馬子説の方が時代的には合うが、また馬子の子が入鹿という説もあるやに聞く。確かに626年没とされた馬子の子が入鹿なら年代も合う。
聖徳太子=蘇我馬子なら、救世観音の造られた年代とも整合する。入鹿の没年でも合致するのだが・・・
逆にいうと、聖徳太子が架空の人物で、馬子と入鹿の投影だとすると、すべては包含されるのだが・・・ビッグコミックの展開が楽しみだ。
さて、その一方で春日大社も20年ぶりの式年行事の最中で、今特別公開の最中のようだ。こちらは藤原氏ゆかりの神社で、蘇我から見ると敵対側だが。
救世観音とこの二つがいっぺんに見られる今は、なかなかないチャンスかも知れない。これはちょっとプランを立ててみようかしらん・・・
そうだ・・・奈良行こう・・・かな お世話になった、あの恩師にもお線香をあげながら・・・
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