右往左往の乳がんの日々

2012年7月乳がん告知。怒涛の術前化学療法・手術・放射線のフルコース治療終了。それでも、小さなことで揺らぎます~

「陽子の一日」読みました

2014-02-11 20:00:15 | 読書
去年の今頃だったか、
たぶん放射線照射のために通院していたころ、
地方紙の紹介されていた新刊を図書館に予約していた。
手元に届くのに約一年。
『買えよ』って話なんだが。。。

南木佳士(なぎけいし)の「陽子の一日」
医師の立場から書かれており、
陽子の同期であった医師の病歴要約を
読み進んでいくのと交差して、
彼女の日常が描かれている。
還暦を迎えている彼女は、病棟勤務を離れ、
今は、外来と人間ドックの診療に就く。
医師の定年は65歳ってここで知った。

まだ50歳ごろ、彼女自身で書かれた指示が
若い医師に書きかえられるようになり、
看護師たちもそれに従っていく。
医療の世界も一般の社会と同じで
新旧交代がより顕著なんだな

病歴の箇所とか読みにくって、
読み飛ばした時もあったけど、
心に引っかかる箇所がところどころにあった。
医師となって納得いかない場面を
織り込んでいるのか?

―――――以下抜粋―――――

エビデンスにばかり重きを置き、
患者個人の成育歴や生活環境を
軽んじる最近の臨床医学教育に
納得できない・・・

私の知る範囲の医師は、
他者の不安にいくらかなりとも想いをいたす人たちと、
自分が不安感とは無縁で生きているゆえ
他者の不安を全く理解しようとしないひととに大別される。
前者が名医で、後者がヤブだと断定できれば話は早いのだが、
たとえば、
職人芸を要求される最先端の外科手術の名手はほとんど後者であり、
前者の外科医で腕のよい者を、少なくともわたしは知らない。

当時は医師のおおまかな判断で入院が決められたようだが、
医療資源の無駄遣いを省く意味でも、
日本呼吸学会が改定を繰り返しているガイドラインを
診療に用いるのは有益である。
それは、
胸部単純X線写真をきちんと読めて、
肺炎が診断できてからの話であるのは当然で、
これができぬ医師にとって
ガイドラインは何の意味も持たない。
登山口に自力でたどり着けない登山者に山の地図は
無用の長物だもんな。

病気の早期発見を目的に受けた検査で、
医師も判断に迷う病変が見つかり、
受けたものが余計な心配を背負い込む、という現象は
日常の診療の中でよく見られる。
技術が進歩し、CT画像の解像度があがり、
小さな陰影の質がかなりな程度把握できるようになった今日でも、
この厄介な問題は解決されていない。

病院には専門医と称する医師たちがそろっていたが、
彼、彼女たちはその専門性の上にあぐらをかき、
狭い領域での最新の情報は持っているが、
情報の発信者となりえるほどの人材はほとんどいなかった。
そんな情報など、わざわざ二流の専門医に教わらなくても、
インターネット上にあふれている。

『CT、やっておこうか。』
『うわあ、怖い。あたし、絶対見逃してた。』
若い女医が、浅いため息を何度もついた。
『怖いよね、この仕事。あとはよろしく。』


『完璧なものなんてこの世にないわよ。でも、
起きてしまった事態に対応してくれてありがとう。
私のためにこういう工夫をしてくれたひとがいただけでも、
安心は買えましたよ。来年も来ますからよろしくね。』
『来年のことをいうと鬼が笑いますよ。』
『鬼に笑われながら生きましょうよ、お互い。』

本当ならばかなり怖い状況だけど、
陽子先生みたいな医師もいるんだよな


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