すぎな之助の工作室

すぎな之助(旧:歌帖楓月)が作品の更新お知らせやその他もろもろを書きます。

静かな秋の日に思い出すこと~敬老の日によせて~

2009-09-20 12:13:53 | インポート

静かな秋の日に思い出すこと

静かな秋の日です。

秋虫の音と、名残の蝉の声。

白い太陽光にかすむ青空、照葉樹の葉が日の光を受けて白く輝きます。

涼しい風が、木のゆれる音、小鳥の声、遠くの道路を走る車の音、を運んできます。

人の声の無い世界です。

私の住んでいるところは、田舎なので、そんな秋の日があります。

すると、必ず、心に甦ってくる情景があります。

私が6歳のころに無くなった祖母のことです。

共働きで夜勤もちの両親の間に生まれた私は、生まれてから3歳になるまで、父方の祖母と一緒に時間を過ごしました。

そのころの私の家には、父方の祖父母、父母、兄、私が暮らしていました。

父母は、朝から晩まで、どうかすると翌朝まで、もっと長いと数日は、居ません。

兄は、離れたところに住む母方の祖父母に預けられていました。

わたしは、生まれてから3歳までの間、一日の多くを、父方の祖母と過ごしました。

父方の祖母は、わたしに、静寂をくれました。

朝起きると、祖母以外誰もいません。わたしは起きて台所にいきます。

祖母がいます。

朝ごはんを食べます。洗濯物を干します。

静かな、声の無い、風と空と山々と祖母と私だけの時間が流れます。

言葉はありません。私はじっと祖母のそばにいます。祖母は、静かに、静かに、家事の一切をします。

そうしてそれが終わると、祖母は私を連れて、乳母車に乗せて、あるいは背に負って、あるいは手を引いて、ゆっくりゆっくりと、近所の友達の家に行きます。途中、畑を見て、祖母はぽつりぽつりと作物の出来を話します。私はそれをじっと聞いています。途中、林の中に入り、祖母は私を背負って、小さな小川を渡ります。私は祖母の背から、暗い森の影や、小さな小川を見下ろします。

祖母は友達に会いに行き、静かに静かに、風の音と、虫の声と、木のそよぐ音に寄り添うかのように、静かに会話をします。私はそれを、祖母のそばで、じっと聞いています。

そうしてお昼前に、お友達の家から帰り、祖母と祖父と私は昼食を食べます。

お昼がすぎると、祖母は家の畑に出ます。草をとります。私はそばにいて、じっと祖母の背中を見ています。

人の声は何も聞こえない。風の音、空、山と畑、そして、祖母と私。

祖母は、非常な苦労をしてきた人でした。戦争中に沢山の家族親戚近所の人の世話をして、男女の別厳しい環境の中、意地の悪いお姑さんの言うことを聞き、

そして戦争が終わり、時代が変わり、息子には嫁が来て、

「私は何をされたら辛いかを知っているから、嫁には決して苦労をさせない」

そう言って、私の母が働きにでるのを支え、家の事、孫の私の育児、母がすべきことの多くを代わりにしてくれました。

そうして、私が6歳のころ、65歳でこの世を去りました。

亡くなったこの祖母のことを、母は、懐かしんで言います。「菩薩様のような人だった。いくら感謝してもし足りない」と。

祖母と私が過ごした、人の声の無い時間。わたしは、その時に、祖母に寄り添いながら、たくさんのことを祖母から受け取りました。その時、祖母は色々なことを考えていたでしょう。昔のこと、今のこと、これからのこと。私は、祖母に寄り添って、無言のそれらを、聞いていたのかもしれません。

静かな、静かな、秋の日に。