こんばんは。
連休中はずっとパソコンの前にいた歌帖です。
ひきこもりなのかといいますと、これが主目的で、これをやるために俺は仕事をしているんだああああと言う事に今更気づいたので、前向きとはつまりそういう生き方なんだと認識した最近です。つまり面の皮が一層厚くなった幸せ。ああよかった大人ってすばらしい。(誤解)
さて、
いいおとななんだから、もう色々はまるのは止めましょう。普通の人として人並みな一般的なものに興味を持ちましょうと努力したのですが。無理でした。やはり人間中身は変えられない。三つ子の魂百までも。中学校の萌えは一生物。ええ。
ヘタリアにはまりました。数年前にヘタリア1巻を拝見しまして、サイトを探しまして、そこで少し落ち着いていたんですが。
動画サイト、よりどりみどりなことになってますね。
ピクシブ、美麗な絵がてんこ盛りですね。
楽園やんなあ……。
がっちりはまってしまいまして、ご本家サイト、動画サイト、ピクシブ、等々、この連休中楽しませていただきました。これからも楽しませていただきたいです。
というわけで、当分の間は、ヘタリアまみれの日々になりそうです。
オタ(ry です。残念なことに、腐女(ryではないのですが。
ただ、あれですね。国擬人化作品なので、色々デリケートみたいですね。
でも、世界史覚えるのには、超便利な感じがします。高校生のころに、これがあればなあ(すごく無茶な年数を遡れというのか)
静かな秋の日です。
秋虫の音と、名残の蝉の声。
白い太陽光にかすむ青空、照葉樹の葉が日の光を受けて白く輝きます。
涼しい風が、木のゆれる音、小鳥の声、遠くの道路を走る車の音、を運んできます。
人の声の無い世界です。
私の住んでいるところは、田舎なので、そんな秋の日があります。
すると、必ず、心に甦ってくる情景があります。
私が6歳のころに無くなった祖母のことです。
共働きで夜勤もちの両親の間に生まれた私は、生まれてから3歳になるまで、父方の祖母と一緒に時間を過ごしました。
そのころの私の家には、父方の祖父母、父母、兄、私が暮らしていました。
父母は、朝から晩まで、どうかすると翌朝まで、もっと長いと数日は、居ません。
兄は、離れたところに住む母方の祖父母に預けられていました。
わたしは、生まれてから3歳までの間、一日の多くを、父方の祖母と過ごしました。
父方の祖母は、わたしに、静寂をくれました。
朝起きると、祖母以外誰もいません。わたしは起きて台所にいきます。
祖母がいます。
朝ごはんを食べます。洗濯物を干します。
静かな、声の無い、風と空と山々と祖母と私だけの時間が流れます。
言葉はありません。私はじっと祖母のそばにいます。祖母は、静かに、静かに、家事の一切をします。
そうしてそれが終わると、祖母は私を連れて、乳母車に乗せて、あるいは背に負って、あるいは手を引いて、ゆっくりゆっくりと、近所の友達の家に行きます。途中、畑を見て、祖母はぽつりぽつりと作物の出来を話します。私はそれをじっと聞いています。途中、林の中に入り、祖母は私を背負って、小さな小川を渡ります。私は祖母の背から、暗い森の影や、小さな小川を見下ろします。
祖母は友達に会いに行き、静かに静かに、風の音と、虫の声と、木のそよぐ音に寄り添うかのように、静かに会話をします。私はそれを、祖母のそばで、じっと聞いています。
そうしてお昼前に、お友達の家から帰り、祖母と祖父と私は昼食を食べます。
お昼がすぎると、祖母は家の畑に出ます。草をとります。私はそばにいて、じっと祖母の背中を見ています。
人の声は何も聞こえない。風の音、空、山と畑、そして、祖母と私。
祖母は、非常な苦労をしてきた人でした。戦争中に沢山の家族親戚近所の人の世話をして、男女の別厳しい環境の中、意地の悪いお姑さんの言うことを聞き、
そして戦争が終わり、時代が変わり、息子には嫁が来て、
「私は何をされたら辛いかを知っているから、嫁には決して苦労をさせない」
そう言って、私の母が働きにでるのを支え、家の事、孫の私の育児、母がすべきことの多くを代わりにしてくれました。
そうして、私が6歳のころ、65歳でこの世を去りました。
亡くなったこの祖母のことを、母は、懐かしんで言います。「菩薩様のような人だった。いくら感謝してもし足りない」と。
祖母と私が過ごした、人の声の無い時間。わたしは、その時に、祖母に寄り添いながら、たくさんのことを祖母から受け取りました。その時、祖母は色々なことを考えていたでしょう。昔のこと、今のこと、これからのこと。私は、祖母に寄り添って、無言のそれらを、聞いていたのかもしれません。
静かな、静かな、秋の日に。