すぎな之助の工作室

すぎな之助(旧:歌帖楓月)が作品の更新お知らせやその他もろもろを書きます。

時に浮かぶ、月の残影

2005-07-10 11:10:36 | 執筆状況
歩いていた。
そこから、記憶が始まった。
そして、私の中には、言葉があった。

「懐郷の塔へ行きなさい」

それだけが、私だった。




過去と現在と未来。
そこにはそれらがあった。
「異常なんだよ本当は。世界の何処にいても、今だけしか見えないものなんだよ本当は」
懐郷の塔の頂上。本の無い書斎に、男がいた。
李両(リリョウ)と呼ばれて、窓外の風景から背後を振り返る。短い銀の髪が、冴えた月光のように光る。
「なに? ねえ、聞いてた? 翔伯(ショウハク)。今の話」
「私にそれを言うのがそもそも、異常だ」
「前置きだよ前置き。さて本題、と言って続けるつもりだったんだけどな」
 やれやれとつぶやいた李両は、書類を丸めて机でトンと叩き、ついでに軽くため息をついて、話ずらいなあとこぼして苦笑した。
「もしかして嫌?」
「……私は、」
 翔伯は左斜め下に、青黒の目を落とした。肩下までのびる灰黒の直毛がわずかにゆれた。
「教育係ではない」
「たしかになあ」
 それを言われるとなんとも返す言葉が無い、と、今度は降参のためいきをもらして、李両は首を左右にかしげた。肩がこっていたのだ。書類仕事は向かないのだが、何せ、誰もやるものがいない。
「でもね。連れていって見せてやってくれ。新人君に、『世界』を」
「空間ではない。それは、」
 首を振って訂正する翔伯に、李両は、ああわかっているさ、と応じる。ひどく、諦観した微笑で。
「話の閉めに使ったまでだよ。一緒に生きた仲じゃないか。……それは、祈り」

 未来へと続く、それは祈り。

「月がきれいだなあ。翔伯」
「ああ」


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