今の世の中、どうも息苦しい。
それは、「踏み絵」を求められているから。
例えば、統一教会問題。
これはわかりやすい。
ただ、統一教会と政治の問題は、そんなに単純ではないと思う。
洗脳や金の問題、韓国との関係とかだけではないだろう。
もっとグヂャグヂャとした、我々が立ち入ることのできないモノが横たわっているような気がする。
日本社会はそこに触れないで来たのではないか、と思っている。(大昔から)
国葬の問題。
招待状が来た、来ないなんて言っている輩までいる。
仮にも総理大臣を最も長く務めた人が、公衆の面前で命を奪われたのである。
国葬の是非を問うことも必要かもしれないが、もっと大事なことが後回しにされているような気がする。
国葬には賛成しないが、そろそろ静かに弔う時期に来ているのではなかろうか。
コロナに罹った、罹らないもそう。
ワクチンを打った、打たないもそうである。
なぜ「踏み絵」社会なのかというと、「善-悪」が単純化され、「悪」を徹底的に叩くことによって、自分は「善」側に立つという、「いじめ=差別」の構造となっているからである。
正義の安売り、「魔女狩り」である。
こういう状況は危ない。
経済状態が悪化し、格差社会となった頃も危惧していた。
そこに、前代未聞の「コロナ」である。
それも、あるのか、ないのか、ワクチンの是非まで絡んでくる。
日本社会はそもそも、多少なりとも「踏み絵」社会であった。
村八分=同調圧力が、無言の力となって染みついていた。
それは、平時には「和」の力となる。
しかし、非常事態になると牙を剥く場合もある。
何かが起こった時に、他人のことをあ~だこ~だというのはやめませんか。
自分は気をつけよう、でいいと思うのだが。
ヘロヘロの岸田政権、大丈夫か。代わりはいないだろうけど。でも、結構政策進めてるって知ってます?少なくとも、前政権よりはやっていると思うのだが。