大勢の観光客でにぎわう上高地から槍沢を登り槍ヶ岳まで、往復39km、高低差1,680mを4日間かけてのんびり歩く。
上高地は観光客には目的地だが、登山者にとっては玄関口だ。河童橋の喧騒を離れ、梓川の清流を左手に木立の中を進む。穂高神社のある明神を過ぎると観光客がぐっと減り、静かな登山者たちの世界となる。テントが並ぶ徳沢で蝶ヶ岳への道を分け、横尾で涸沢と穂高への道を分けてさらに上流へ。横尾からはさらに静かな道を進む。一ノ俣を過ぎると梓川は槍沢と名を変え、流れは狭く激しくなる。
上高地から4時間で今日の宿、槍沢ロッヂに到着。気温20度。山小屋前のベンチは槍を目指す登山者たちで混んでいる。この山小屋は標高1,820mに建つが、槍沢のおかげで風呂がある。夕食までの時間にひと風呂浴びる。廊下には部屋からあふれた外国人が陣取り、スペースが足りないのか大柄な男性がフトンを持ち出して寝ている。8時30分消灯。あすはいよいよ槍の穂先だ。
いざ!槍ヶ岳へ
山の朝は早い。まだ真っ暗な4時に出発の準備をする人も。部屋は畳2枚に3人という狭さだったので睡眠不足。昨日、コースの半分まで距離を稼いだので、大半の客が出払った後、のんびり6時半に出発する。朝の空気がすがすがしい。樹林帯を抜けババ平のテント場に出ると突然視界が開けた。槍はまだ見えない。進行方向の槍沢は、両側が垂直に切り立つU字谷。
大曲で雪渓の上に出ると吹きおろす風が心地よい。正面に大喰岳と中岳の稜線を仰ぎ見ながら、高山植物が咲き乱れるお花畑を歩く。南岳への道を分ける天狗原分岐から高山植物の群落を進むと、傾斜はさらに厳しくなる。グリーンバンドをジグザグに登り切ったモレーンの上で、青空に突き上げる槍の穂先が突然姿を現した。ここまでたどり着かないとその姿を見せないのは、心憎い自然の演出!
雲ひとつなく、日差しが強い。槍沢カールは雪渓の白、ハイマツの緑、そして空の青さがひときわ美しい。振り返るとピラミダルな常念岳と蝶ヶ岳が大きい。眼の高さより上だった常念岳が徐々に低くなり、高度をぐんぐん稼いでいるのが分かる。広大な槍沢カールの中では距離感が失われ、手が届きそうな槍はなかなか近づかない。これほど大きなカールを造った氷河の力に驚かされる。
傾斜はますますきつくなり、薄い空気と急登で息が切れて足が前に出ない。重力にあらがいながら、岩屑の斜面を10分歩いて3分休むペースが続く。ここから先が意外に長い。槍沢ロッヂから5時間半、豆粒のように槍の穂先にとりつく登山者が確認できるようになると、ようやく3千メートルの稜線に建つ槍ヶ岳山荘に到着。
槍の肩に屹立する穂先はまさに奇跡。自然の造形に驚かされる。槍沢を見下ろすテラスは多くの人で賑わっている。写真で見たマッターホルンの展望テラスを思い出した。槍沢の絶景パノラマを眼下に昼食は「キッチン槍」のカレーライス。あとは槍の穂先に登るだけなので、午後のひと時をテラスでのんびり過ごす。ここも外国人が多い。ヨーロッパ、東南アジア、台湾、韓国・・・、国際色豊か。
荷物を預け、外国人の後を山頂に向け出発するが、さっそく渋滞。山頂まで30分のところ混雑時には3時間かかるそうだ。クサリやハシゴを通過する際の高度感は抜群。危険な個所はさっさと通過したいが、渋滞のせいで同じ場所にとどまるためによけいに危ない。振り返るとまるで空中に投げ出されたような感覚で、緊張で動けなくなった人があちこちで渋滞を作っている。
頂上直下の9mのハシゴはほとんど垂直。まるでジャックと豆の木のように長いハシゴが天空にのびる。緊張感を振りはらって登りきると、そこは3,180mの頂。わずか10畳ほどの広さになんと40人以上の登山者があふれ、今にもこぼれおちそう。かつて槍の穂先でこんなにたくさんの人を見たことはない。いつの間にか祠の前には記念撮影を待つ人の長い列ができていた。
記念撮影の順番を待つ外国人たち。登頂の感激で泣き出す山ガール。父親にロープでつながれ、怖いよ、嫌だよと騒ぐ中学生。リーダーに一人ずつ握手で祝福されるツアー客。お神酒だと言って酒を飲み始める人。狭い山頂はドラマに満ちている。眼下には槍ヶ岳山荘と小槍。北は遠く立山、白馬岳。西は昨年登った双六岳、鷲羽岳。ちょうど1年前の今日、私たちは鏡平からこの槍を見上げていた。
東は燕岳、大天井岳、常念岳。南に穂高連峰、乗鞍岳、御嶽山。ぐるりと見わたすと懐かしい山ばかりだ。眼下には燕岳へと続く表銀座縦走路がのびる。次回はこの道から槍をめざしたい。外国人パーティの後、クラブツーリズムの団体が2組も登ってきた。360度の絶景をこころゆくまで満喫した後、団体が下山するのを待って山小屋まで降りる。
夕方、日没が近づくと山頂が赤く染まった。下界は例年にない猛暑で40度近いが、ここは14度。食堂に長蛇の列ができていたので時間をずらして行くと、料理を温めなおしてくれた。山小屋のサービスは随分よくなってきた。今夜の宿泊者は多そうで、広い食堂は4回も入替している。山小屋の収容限度650人に近いのかもしれない。夕食後は広い畳の談話室でくつろぐ。
8時過ぎ、空一面を星が埋め尽くす。消灯時間が迫っているにもかかわらず、大勢の人が出てきた。撮影のため暗闇でカメラをセットしていると、懐中電灯が前を通過したり、槍の穂先がフラッシュに照らされたり、…。槍の左手のカシオペア座、頭上の夏の大三角、穂高にかかる蠍座まで、雲のような天の川がのびる。天の川に埋もれた星雲や星団まで確認できた。
横尾に下山
翌朝、あたり一帯が白くガスで覆われた。御来光は見られなかったが、幻想的な風景だ。視界がない中、山小屋を発つ人も多い。私たちは下山だけなので、チェックアウト後ものんびり談話室で過ごす。ガスが途切れたころ隣の3千m峰、大喰岳まで散策する。この山、高さではトップ10に入るものの、マイナーな山なので山頂に立つ人はほとんどいない。ここから見る槍は穂先を少し右に傾けている。
山小屋の隣の崖っぷちに、日本一高いテント場がある。眺めは素晴らしいが、ここで一晩を過ごすのは勇気がいる。寝相の悪い人は一気に谷底だ。右足小指を痛めたので慈恵医大診療所を訪ねる。昨夏のサマーレスキューを思い出して、ワクワクしながら部屋に入るが、結局バンソコと包帯だけ。初診料千円と材料実費300円也。槍の穂先から時々落ちる人がいるそうで、大変な仕事だ。
槍の穂先は昨日以上の渋滞で、まるでガリバーによじ登る小人のようだ。昼前、名残を惜しみつつ槍を後に。今日も大勢のツアー客が登ってくる。モレーン台地で槍に最後の別れを告げ、横尾山荘へ一気に下る。ここは3年前、北穂高登山で泊まった山小屋で、きれいで居心地がいい。身体を伸ばせる大きな風呂がありがたい。今日はお盆前の土曜日なので、これから槍穂高を目指す人たちで大混雑。
ふたたび上高地へ
お盆休みに加え最近まで大雨が続いたので、普段は静かな横尾が登山客でいっぱいだ。私たちに前後しているクラブツーリズムのツアーが追いついてきたので、先を急ぐ。徳澤園の名物は濃厚なソフトクリーム。おしゃれな標識がいい雰囲気だ。河童橋の上も大混雑で、聞こえてくるのは外国語ばかり。上高地温泉で山の疲れをいやし、村営食堂で昼食。2時過ぎ、関西直行のバスで京都へ。
夏のひととき下界の猛暑を忘れ、岩、雪、星、そして花に囲まれた雲上の別天地で過ごした。槍は私にとって20年ぶり6回目だが、何度訪れても心に残る山だ。日頃からランニングや低山歩きなどでトレーニングしていたが、足の小指に靴擦れができ、最終日は激痛に耐えながらの下山となった。ただ、心配していた膝の方はレッグマジックXのおかげで何の心配もなく歩けた。
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