トリノさんが亡くなった。
うちの古くからの門徒さんで元総代長の家で
近所だし長い長いおつきあいだった。
入院されたというのを聞いて徳中へお見舞いに
行ったら緩和病棟におられた。
伊東先生のお顔がみえたので挨拶したら
「あれーどうした、誰かお見舞い ?」
「はい、トリノさんの」
「あーそう、ちょっと聞いてくるから」
そこで初めて緩和病棟は面会謝絶で
本人か家族の許可がないと入れないことを知った。
トリノさんはすごく元気そうで私を見た途端に
「まー、あーた、忙しいのにこんなとこまで来て。
来んでええのにー」と嬉しそうに言ってくれた。
それから私の手をぎゅっと握って
「最後のお願いだから、いいかね、私は最後は
トクオウジの阿弥陀様の前で一晩過ごしたいのよ、
病院からまっすぐお寺へ連れて帰ってちょうだい、
頼みましたよ」
「わかった、大丈夫、安心して、まかせて」
「あーよかった、これでもう思い残すことはない、
あーたのお父さんとお母さんが待っててくれてるから
お浄土へ参るのも何も怖くないよ、ようここまで
生きたよ、苦労したけどねぇ」
昔の話を20分もしゃべり続けて本当にガンなのかと
思うくらいだった。
「ここは本当にいいよ、強い薬だろうけど
全然痛くないようにしてくれるし、何食べてもいいし、
いちんち好きなテレビみて寝ころんでて。
ゴハンはあんまりおいしくないけどね^^;」
トリノさんの好きなおまんじゅうをふたつ、
サイドテーブルにおいて「おやつで食べてね」と言うと
「まーうれしー」と子供みたいな笑顔になった。
帰るときも「もう絶対来るんぢゃないよ、いいかね、
もう来んでいいよ」と手をふってくれた。
最後にいろんな話が出来てよかった。
トリノさんは私の第二の母といってもいいくらいの人で
自分の親の葬儀でも泣かなかった私が涙が出た。
長い間、本当にありがとう。
いっぱい怒られて本物の鬼姑みたいだったけど
一番お世話になりました。
私の祖父、父、おやぢ、げむの四代の住職の
法話を聞いたというのがトリノさんの自慢だった。
享年九十才。合掌。
うちの古くからの門徒さんで元総代長の家で
近所だし長い長いおつきあいだった。
入院されたというのを聞いて徳中へお見舞いに
行ったら緩和病棟におられた。
伊東先生のお顔がみえたので挨拶したら
「あれーどうした、誰かお見舞い ?」
「はい、トリノさんの」
「あーそう、ちょっと聞いてくるから」
そこで初めて緩和病棟は面会謝絶で
本人か家族の許可がないと入れないことを知った。
トリノさんはすごく元気そうで私を見た途端に
「まー、あーた、忙しいのにこんなとこまで来て。
来んでええのにー」と嬉しそうに言ってくれた。
それから私の手をぎゅっと握って
「最後のお願いだから、いいかね、私は最後は
トクオウジの阿弥陀様の前で一晩過ごしたいのよ、
病院からまっすぐお寺へ連れて帰ってちょうだい、
頼みましたよ」
「わかった、大丈夫、安心して、まかせて」
「あーよかった、これでもう思い残すことはない、
あーたのお父さんとお母さんが待っててくれてるから
お浄土へ参るのも何も怖くないよ、ようここまで
生きたよ、苦労したけどねぇ」
昔の話を20分もしゃべり続けて本当にガンなのかと
思うくらいだった。
「ここは本当にいいよ、強い薬だろうけど
全然痛くないようにしてくれるし、何食べてもいいし、
いちんち好きなテレビみて寝ころんでて。
ゴハンはあんまりおいしくないけどね^^;」
トリノさんの好きなおまんじゅうをふたつ、
サイドテーブルにおいて「おやつで食べてね」と言うと
「まーうれしー」と子供みたいな笑顔になった。
帰るときも「もう絶対来るんぢゃないよ、いいかね、
もう来んでいいよ」と手をふってくれた。
最後にいろんな話が出来てよかった。
トリノさんは私の第二の母といってもいいくらいの人で
自分の親の葬儀でも泣かなかった私が涙が出た。
長い間、本当にありがとう。
いっぱい怒られて本物の鬼姑みたいだったけど
一番お世話になりました。
私の祖父、父、おやぢ、げむの四代の住職の
法話を聞いたというのがトリノさんの自慢だった。
享年九十才。合掌。