主人と結婚し、長男が産まれて 一年は、親子三人楽しく暮らしていました。
私らが、結婚する数年前に義母は片目を失明し、
もう片方をブドウ膜炎の進行により、いつ失明するか判らない中で、
毎日、電話が来て、「一緒に暮らして欲しい」と懇願されておりました。
長男が一歳になるのを期に、覚悟の元、共に暮らし始めました。
元々、結婚する前より主人は、
「母親のことが嫌いなんだ」と、
多くを語らないけれど、吐き捨てるように話ていました。
私の家庭のような温かみは感じられず、
『こりゃ根が深いな』とは、思っていました。
共に暮らす際に、主人は最後まで反対していました。
それでも、状況がこんなだし、放っておくわけにもいかないと、
私が決断し 主人を説得し 暮らした訳です。
考えは甘かった。
引っ越した翌日から、反抗期の少女のように私に当たりながら、
毎夜、私の名前を寝言で呼びながら、朝な夕な、依存していく日々でした。
俗に云う、嫁いびりとは、一味違い。
眼が見えない苦しみを私に吐き出しながら、
一日中、傍にいて、慰めて欲しいようでした。
義母にお世辞にも優しさをみせない主人。
その、苛々に私を罵る日も度々ありました。
私を生活の助手兼親友で、いて欲しいようでした。
次男を妊娠した時の逆上っぷりは半端なく、
妊娠期間中、何度となく
「私は助手が欲しかったのに貴女は妊娠するなんて信じられないっ」
と、さめざめ泣くのです。
『泣きたいのは、こっちだろ』
と、思いながらも、耐えてきました。
私にとっては、彼女は精神が病んでいるとしか思えず。
腫れものでしかなかった。
だからこそ、その渦に私が負け 自分まで病んでしまったら 子どもが可哀想だと思い
明るい呑気な母さんを演じ続けて、今に至る。
けれど、吐き出された言葉は毎夜、頭の中でグルグルし、
消化するのは難しかった。
平成27年、私の心は極限状態でした。
毎日、明るく呑気な母さんは続けていたけれど、脳内はグチャグチャでした。
子どものママ友の日常が、あまりにも羨ましかったし、
あと、何れくらい、この状況が続くのであろうと、考えていました。
年が明けた、一月。
子どもが、インフルエンザになり看病し、治った頃に私が、インフル撃沈。
インフルエンザなんて、子どもの頃にかかったきりでした。
勿論、風邪は一年に一度くらいなったこともあるし、
十二指腸潰瘍、原因不明の腹膜炎、原因不明の敗血症で命の危機。
子宮がヤバイことになったり、
明らかにストレス誘発の大人喘息発症。
虚弱とは、認めたくないですが、虚弱でした。
このインフル後より、段々と痩せていき、
糖尿病性ケトアシドーシスにて、一型発覚でした。
勿論、惣菜パンが大好きでしたし、
そんによいこな食生活でも、ありませんでした。
様々な誘発原因が、加味されて、なるべくしてなったのでは?と、思っちゃいます。
でもね、自分が選んだ道です。
今は極限状態ではないです。
淡々とこなす程度には大人になりました。
大人になったと、書きつつも、こんな記事を吐露しちゃってるあたり、
けっこうヤバイな私。とは、自覚中。
ふふ。
私らが、結婚する数年前に義母は片目を失明し、
もう片方をブドウ膜炎の進行により、いつ失明するか判らない中で、
毎日、電話が来て、「一緒に暮らして欲しい」と懇願されておりました。
長男が一歳になるのを期に、覚悟の元、共に暮らし始めました。
元々、結婚する前より主人は、
「母親のことが嫌いなんだ」と、
多くを語らないけれど、吐き捨てるように話ていました。
私の家庭のような温かみは感じられず、
『こりゃ根が深いな』とは、思っていました。
共に暮らす際に、主人は最後まで反対していました。
それでも、状況がこんなだし、放っておくわけにもいかないと、
私が決断し 主人を説得し 暮らした訳です。
考えは甘かった。
引っ越した翌日から、反抗期の少女のように私に当たりながら、
毎夜、私の名前を寝言で呼びながら、朝な夕な、依存していく日々でした。
俗に云う、嫁いびりとは、一味違い。
眼が見えない苦しみを私に吐き出しながら、
一日中、傍にいて、慰めて欲しいようでした。
義母にお世辞にも優しさをみせない主人。
その、苛々に私を罵る日も度々ありました。
私を生活の助手兼親友で、いて欲しいようでした。
次男を妊娠した時の逆上っぷりは半端なく、
妊娠期間中、何度となく
「私は助手が欲しかったのに貴女は妊娠するなんて信じられないっ」
と、さめざめ泣くのです。
『泣きたいのは、こっちだろ』
と、思いながらも、耐えてきました。
私にとっては、彼女は精神が病んでいるとしか思えず。
腫れものでしかなかった。
だからこそ、その渦に私が負け 自分まで病んでしまったら 子どもが可哀想だと思い
明るい呑気な母さんを演じ続けて、今に至る。
けれど、吐き出された言葉は毎夜、頭の中でグルグルし、
消化するのは難しかった。
平成27年、私の心は極限状態でした。
毎日、明るく呑気な母さんは続けていたけれど、脳内はグチャグチャでした。
子どものママ友の日常が、あまりにも羨ましかったし、
あと、何れくらい、この状況が続くのであろうと、考えていました。
年が明けた、一月。
子どもが、インフルエンザになり看病し、治った頃に私が、インフル撃沈。
インフルエンザなんて、子どもの頃にかかったきりでした。
勿論、風邪は一年に一度くらいなったこともあるし、
十二指腸潰瘍、原因不明の腹膜炎、原因不明の敗血症で命の危機。
子宮がヤバイことになったり、
明らかにストレス誘発の大人喘息発症。
虚弱とは、認めたくないですが、虚弱でした。
このインフル後より、段々と痩せていき、
糖尿病性ケトアシドーシスにて、一型発覚でした。
勿論、惣菜パンが大好きでしたし、
そんによいこな食生活でも、ありませんでした。
様々な誘発原因が、加味されて、なるべくしてなったのでは?と、思っちゃいます。
でもね、自分が選んだ道です。
今は極限状態ではないです。
淡々とこなす程度には大人になりました。
大人になったと、書きつつも、こんな記事を吐露しちゃってるあたり、
けっこうヤバイな私。とは、自覚中。
ふふ。