熊本の地震から今日で一週間がたちましたのを機に
僕が経験した東日本大震災直後の行動を
熊本の災害地で商売をなさっている方の中で
少しでも応用できる人がいるのでは?
と思い立って書いてみました。
震災直後 地震と津波により
会社が壊滅した事実をしっかりと受け止めて
上に立つものとしてまず最初にやった事。
3月11日はホワイトデー直前という事で
水に沈まなかった二階のストックルームにあった
在庫の菓子類を家族で避難所と路上で配り一息ついてから、、、
(後に役立つので現場の写真はできるだけ撮り
ブログや日記などにまとめておくと
申請書類を作ったり取材などの時に助けになります。)
3日目位からが大切なお金の事を考え行動しました。
まず会社の借り入れや住宅ローンを一時的に止めて
いただきました。
(収入がないので、支払いが発生しないようにすることはとても大切です)
次に材料の支払いなど止めれるものは全て止めていただきその上で
県内で同じく被災した業者さんについては
大変だろうと考え優先順位をつけた順に
月末に支払いをしていきました。
18名ほどいた従業員に関しては
会社の状況があまりにもひどかったため
(全ての機械類が海水に沈んだのですから
同じ規模での復活は当面無理だろうと思いました。)
できうる限り解雇して早急に失業保険の手続きと
退職金を支払い生活費用にあてていただきました。
そして心をリセットして
どの規模でどの場所で再建したら良いのかと
なんども胸に手を当てて考えては感じてを繰り返しつつ
一方で解雇したスタッフ達がもし再建するなら
戻りたいという意見や
長年の商売で培ったカンと変わってしまった商圏での
見込み売り上げを計算してみて、、
客観的にみたらありえない状況にもかかわらず
再建が可能という驚くべき答えがでてしまったので
損害額を計算して集められる投入資金の範囲で
元の規模でやることに決め
被災者から再建する側の気持ちに切り替えました。
ここまでを震災当日から月の半ば位までで決めた気がしますが
気持ちの切り替えが早いほど
後に続く者たちの道標になれるということ
有事の時ほど普段通りお洒落をしたり
美味しいものを食べたり一見無駄と言える事が大切だと聞き
そういう意識を常に持ち続け
頭を抱えるであろう時間を
遊びにあてて
できうる限り趣味のスキーや登山も楽しみつつ
再構築をしていきました。
そしてこの地域ではいちはやい4ヶ月後 の7/2
マダムのバースデーの日に
まだ荒地のような場所ではありましたが
事業を最スタートさせる事が出来ました。
はじめ従業員はパートアルバイト扱いで働いていただき
半年一年と時間をかけて徐々に以前の体制に戻していきました。
役員は減額した報酬で
自分に賞与が出たのが再開から17ヶ月後になる翌年の年末で
よくここまでこれたな~と感慨深かったです。
後になって思う事は
やはり被災したその月のうち、
世の中が動き出す少し前に
先を見越した計画を立てて行動を起こした事が
工事をスムーズに進めることができ
補助金申請や借り入れ等も比較的通りやすく
世の中が復興渋滞になる前に
各種手続きが終わっていた事が
何よりだったという気がします。
当時のブログ↓
http://blog.goo.ne.jp/kazunoli_2008/c/c6adf41712b5f195c53b549ec4ed2655?st=1
↓2m近く浸水した地域で周りはこの時
まだ信号機が点かず熊本県警の方々が手旗で
交通整理をして下さっておりました。
電柱やフェンスは傾いたまま
そんな中で一軒だけですが、
あえて派手派手に業者さんらに
花を沢山上げていただいてのオープンでした。
僕が経験した東日本大震災直後の行動を
熊本の災害地で商売をなさっている方の中で
少しでも応用できる人がいるのでは?
と思い立って書いてみました。
震災直後 地震と津波により
会社が壊滅した事実をしっかりと受け止めて
上に立つものとしてまず最初にやった事。
3月11日はホワイトデー直前という事で
水に沈まなかった二階のストックルームにあった
在庫の菓子類を家族で避難所と路上で配り一息ついてから、、、
(後に役立つので現場の写真はできるだけ撮り
ブログや日記などにまとめておくと
申請書類を作ったり取材などの時に助けになります。)
3日目位からが大切なお金の事を考え行動しました。
まず会社の借り入れや住宅ローンを一時的に止めて
いただきました。
(収入がないので、支払いが発生しないようにすることはとても大切です)
次に材料の支払いなど止めれるものは全て止めていただきその上で
県内で同じく被災した業者さんについては
大変だろうと考え優先順位をつけた順に
月末に支払いをしていきました。
18名ほどいた従業員に関しては
会社の状況があまりにもひどかったため
(全ての機械類が海水に沈んだのですから
同じ規模での復活は当面無理だろうと思いました。)
できうる限り解雇して早急に失業保険の手続きと
退職金を支払い生活費用にあてていただきました。
そして心をリセットして
どの規模でどの場所で再建したら良いのかと
なんども胸に手を当てて考えては感じてを繰り返しつつ
一方で解雇したスタッフ達がもし再建するなら
戻りたいという意見や
長年の商売で培ったカンと変わってしまった商圏での
見込み売り上げを計算してみて、、
客観的にみたらありえない状況にもかかわらず
再建が可能という驚くべき答えがでてしまったので
損害額を計算して集められる投入資金の範囲で
元の規模でやることに決め
被災者から再建する側の気持ちに切り替えました。
ここまでを震災当日から月の半ば位までで決めた気がしますが
気持ちの切り替えが早いほど
後に続く者たちの道標になれるということ
有事の時ほど普段通りお洒落をしたり
美味しいものを食べたり一見無駄と言える事が大切だと聞き
そういう意識を常に持ち続け
頭を抱えるであろう時間を
遊びにあてて
できうる限り趣味のスキーや登山も楽しみつつ
再構築をしていきました。
そしてこの地域ではいちはやい4ヶ月後 の7/2
マダムのバースデーの日に
まだ荒地のような場所ではありましたが
事業を最スタートさせる事が出来ました。
はじめ従業員はパートアルバイト扱いで働いていただき
半年一年と時間をかけて徐々に以前の体制に戻していきました。
役員は減額した報酬で
自分に賞与が出たのが再開から17ヶ月後になる翌年の年末で
よくここまでこれたな~と感慨深かったです。
後になって思う事は
やはり被災したその月のうち、
世の中が動き出す少し前に
先を見越した計画を立てて行動を起こした事が
工事をスムーズに進めることができ
補助金申請や借り入れ等も比較的通りやすく
世の中が復興渋滞になる前に
各種手続きが終わっていた事が
何よりだったという気がします。
当時のブログ↓
http://blog.goo.ne.jp/kazunoli_2008/c/c6adf41712b5f195c53b549ec4ed2655?st=1
↓2m近く浸水した地域で周りはこの時
まだ信号機が点かず熊本県警の方々が手旗で
交通整理をして下さっておりました。
電柱やフェンスは傾いたまま
そんな中で一軒だけですが、
あえて派手派手に業者さんらに
花を沢山上げていただいてのオープンでした。