さぽーと・けあぺん(就労継続支援B型事業所 兵庫県丹波篠山市)

地域の方々と関わりながら、障がい者の方々と一緒に働き事業所を楽しみながら育てて行く日々のお話しブログです。

おとうと

2019-03-07 09:03:43 | 介護、福祉

今朝は、くもり。昨夜は、屋根から雨の音が聞こえてました。

昨日の朝、玄関を開けると、採れての白菜が2つビニール袋に入れられてそっと置かれてました。

ご近所のどなたかさんが届けて下さったようです。

どなたかわからないので、お礼も言えないのですが、本当にありがたいです。ありがとうございます。

 

さて、今日から少しずつ私の4歳年下の弟の事を書きたいと思います。

 

私の弟は、両耳が聞こえない聴覚障がい者です。

幼稚園の頃におたふく風邪になり、その後少しずつ右耳の聴こえが悪くなりました。

彼の運命が変わる偶然の積み重ねは、そこから始まりました。

母親は、彼の耳の聴こえに不安を感じ、小学校入学前に大きな病院に行き検査をしましたが、異常は、ないと診断されました。

まだ小さな子どもで検査方法にちゃんとついて行けていたのか疑問ですし、40年以上も前の医療なので、

今であればその時にわかったかもしれません。

幼稚園の頃は、母親の側について離れられず泣き虫で、遊べる友達は、同じ社宅の1歳年下の男の子だけでした。


40年以上ぶりのお雛様

2019-03-06 08:49:20 | 介護、福祉

2月中旬に終わった実家の引っ越しは、メチャクチャ大変でした。(^_^;))

なにせ、40年以上分のゴミ、ゴミ、ゴミ。( ;∀;)

2週間の間に持ち込みゴミに通った西宮市のゴミ処理センターの予約電話の方々にも覚えて頂いた位、

1日に行った回数は、半端なかったと思う。

実家の整理をしながら、これ、ほんまに終われる?と思うほどのゴミ。

不思議なのは、父親や母親の性格や癖がタンスや押し入れから荷物を出すとわかった事。

父親は、ガムテープが万能修理役と思っていたのか、すべての物に何故かガムテープが張られていた。

外にある収納倉庫は、防水をこころみたのか、ガムテープが屋根部分にびっしり張られてたり、

阪神大震災から以降、地震で剥がれる土壁に所々張られたり。

それと小分けは、決まってスーパーのビニール袋。

何重にも入れられた袋の中から出てきたのは、家の修理に使った釘とか、手紙、給料明細。

家族に見られたら困ると思ってたのか、中には、どうでもいいような物まで何重にも袋詰め。

お父さん、頼むから袋詰めやめてほしかったわ。

ゴミ処理場は、分別が厳しく(当たり前ですが)持ち込み初日に箱に入ってる食器を箱のまま捨てようとして注意されてしまい、

それから全部中身をチェックしながらの作業でかなり時間がかかりました。(^_^;))

母親は、母親でお菓子など頂き物のから箱を取っておき、その中にその時側にあるものを入れて整理したつもりだったようで、

とにかく箱のオンパレードでした。(^_^;))いちいち箱を開けての中身チェック。

手芸が好きな母親は、箱の中に必ずカギ針、棒針、縫い針がバラバラに入れてあり、

箱を開けるたびに入ってる。あーお母さん、処分した針だけで店出来る。( ;∀;)

ひどい時には、箱を開けるとまた、箱。そのなかもまた箱。(箱のマトリョーシカか!!と叫びました)

母親は、私の小言を聞きながら、その箱の山達をせっせと小さく潰してくれてました。

押し入れからは、よくもこれだけ入ってたと感心するほどの昭和の品物が。

そして、阪神大震災以後行方不明だった私のお雛様に再会しました。

狭い団地住まいをしていた頃に買ったそうで、小さいサイズです。

子どもの頃は、友達の大きな段飾りのお雛様が羨ましいと思っていました。

箱から出すと丁寧に紙で被われていて、母親の愛情を感じました。

大変だったけど、私達家族の歴史を感じた断捨離でした。

お金になるようなお宝は、全く見つからず、ただひとつ、ステレオを購入した際にもらった ビクター犬の置物。

いつか、ネットのオークションに出してみようかな?やり方わかんないけど。

息子に迷惑かけないように私も早く終活兼ねて断捨離しないと。


ありがとう、ぷりぱさん。

2019-03-02 13:17:46 | 介護、福祉

2月初旬、長年お世話になった、ぷりぱさんを退職しました。

約5年近く、いつかこの日を迎えなければ行けないのだと自分自身に言い聞かせ、

自分達の足跡を残さず、出来る限りの範囲でしたが、ぷりぱに寄り添い、

ぷりぱスタッフや利用者さんやそのご家族に、沢山助けて頂き、そして支えて頂きました。

初めてケアホームの世話人と夜勤勤務をこの年齢で経験し、皆さんには、ご迷惑ばかりおかけしていました。( ;∀;)

若いスタッフの方々や心優しい利用者さん達に本当にいっぱい救ってもらってました。

体力的にバテていても、若い世代の人達との会話の中や働く姿から私自身が学び、

暑い夏の利用者さんとのお風呂では、汗だくの私を見て「洗ってあげる」と、ごしごしと一生懸命洗って頂いて感動したり。

辛さの思い出は、浮かばないのに、いい思い出ばかりで泣けます。

私は、厳しいヘルパーだったので、利用者さんから「鬼の平田さん」と呼ばれ、よくふざけて「鬼のパンツ」歌われてました。(^_^;)

厳しさのあまり、利用者さんのお母さんと喧嘩になったり、職場の会議でも厳しい事を言うので浮いてる存在でした。

少しでも気がついて頂き、もっと今まで以上にそれぞれの優しい思いを活かす働きやすい職場になってほしい、

利用者さんの出来ることの可能性をもっと伸ばしてほしい、ただその思いだけでした。

きっと、皆さんは、鬼の平田母さんにしょっちゅう腹を立てていたことでしょう。すみませんでした。😣💦⤵

(ちなみに店主は、平田父さんと呼ばれてました。私だけ「鬼」付きです(^_^;))

退職当日に利用者さんのお母さん達から素敵なアレジメントと職場から可愛い花束を頂きました。

心のこもったホームの皆さんが書いた色紙やお餞別も頂きました。ありがとうございました。( ;∀;)

こんなに沢山のお花を頂いたのは、1回目の結婚式以来です。(>_<)

ホームの写真を記念に撮りました。

職場を去る人の気持ちも、それを見送る人の気持ちも両方経験してきているのでよくわかります。

私は、見送る方が辛かったです。翌日からその人の姿を見れない寂しさで不安になりました。( ;∀;)

そう思っていましたが、こうして職場を去ってからも思い出す事が多く、時間が経つまでブログに書けませんでした。

職場を去る人も事情にもよりますが寂しいです。(*´ー`*)

昔の職場仲間さんが言ってた言葉を思い出します。

「人が辞めても、仕事は、回るようになっている。

どんなに仕事が出来る人が辞めても、ちゃんと回るようになっている。

仕事を回せる人達がいる」と。

 実家の引っ越し、私達の引っ越し、そして心の整理がつくまで時間が経つまでかかりました。

ぷりぱの皆様、利用者さんとそのご家族の皆様、今まで本当にいっぱいありがとうございました。

また、いつか皆様に再会出来る日を楽しみに一歩進みます。


ねずみ男

2019-01-19 12:19:57 | 介護、福祉

まだ私が幼稚園の頃の話し。

阪神沿線の今津駅前には、昔、阪神市場と阪急市場があり、

その先にスーパーライフさんがありました。

スーパーに行くと自分の欲しいお菓子が自由に選べて母親について行くのが楽しみでした。

 

そのスーパーライフさんのイベントでゲゲゲの鬼太郎がやってくるらしいと母親が聞き幼稚園から帰り母親と弟について行きました。

正直、水木しげる先生には、申し訳ないですが、何で鬼太郎やねん、おはようピンポンパンのカッパのかーたんとか、

ひょっこりひょうたん島のキャラクターとかに会いたいわ!と渋々ついて行きました。

 

鬼太郎は、頭でっかちの着ぐるみで中々可愛かった!

目玉おやじは、頭だけ着ぐるみで身体の部分は、少し綿の入った着ぐるみ。ちょっと変やけど鬼太郎のお父さんやし大丈夫。

で、予算の関係からなのかねずみ男は、普通に長身の人が頭からねずみ色の布をかぶり、

顔は、無表情に前歯2本出てお面。( ;∀;)

子どもだからその姿は、まさにリアル過ぎる恐ろしいねずみ男そのもので怖すぎ。

ねずみ男とだけは、店内で会わんようにと弟と必死にゲットしなければあかんお菓子を選んでいる最中に、

しっかりねずみ男がやって来た。( ;∀;)

逃げると無表情に前歯だけ出したまま追っかけてきた。

ヘラヘラ笑っている弟を連れ、恐怖で叫び回って、結局お菓子は選べず。

もしかして、あのリアルねずみ男は、家までついて来るんじゃないかと内心ひやひや。

 

その日から私の夢のスーパーは、墓場のように恐ろしいスーパーに変わりライフさんにはついて行かず。

近所にイズミヤが出来て夢のスーパーは、復活したけれど。

 

子どもの頃の恐怖感って中々薄れない。

大人になり、ゲゲゲの鬼太郎は、子ども達にマンガを通して道徳的な事を教えてくれる事がわかるようになったけど。(^_^;)

 

でも何でスーパーライフさんに鬼太郎のキャラクターの着ぐるみきてたのか?ずっと不思議だった。

 

先日、その理由がなんとなくわかった。

母親を連れて郵便局に行く途中に、なんとなく上を見たら電柱の上の看板に気がついた。

「ゲゲゲの鬼太郎水木しげる邸跡」??って書いてある。

え、どこ?周りに記念碑もないし、水木しげる先生って鳥取県ちゃうの?

母親に「水木しげる先生ここに住んでたん?」と聞くと

「そうらしいよ。この辺に看板出来たらしいよ。どこか知らんけど。」

(いやいや、今その真下にいるんやけど・・・・)

自分なりの解釈だけど、今津にゆかりのある有名人って事で水木しげる先生の鬼太郎キャラを

ライフさんなりに子ども達の為にあのとき呼んでくれたんかなあ。

なんとなくずっと気になってた事が解消されてスッキリした。

調べて見ると水木しげる先生が今津に住んでいたのは本当らしい。

赤の矢印だけで「ここやで!!」と印されいるのが、今津らしい気もする。

ねずみ男は、恐怖だったけど、有名人が自分の暮らしていた近所にいたことに妙に親近感がわくのは私だけかな( ̄▽ ̄;)。

 


今年もよろしくお願いいたします。

2019-01-02 11:04:36 | 介護、福祉

篠山は、珍しく雪のない穏やかなお正月を迎えました。
喪中につき新年のご挨拶を控えさせていただきますね。

休業中が続き、昨年もお問い合わせして下さったお客様にご迷惑をおかけして
本当に申し訳ございません。

MISIAさんの「アイノカタチ」がラジオから流れる度、今でも何故か自然と泣けてしまいます。
父親が亡くなり半年過ぎ、自分の中で整理ついた様に思っているつもりなのですが。( ;∀;)
昨年のお正月は、こんな事言ってたなあとか、嫌がる病院に無理に連れて行かなければ良かったなあとか。
父親との約束だった、聴覚障害の弟の事、母親と弟の今後の事で年末は走りどうしでした。(^_^;)

丁度一年前に母親の病気がわかり、春に始めた化学療法の副作用でほとんど抜けた髪の毛も、
服薬タイプに変わり今では、すっかりふさふさに。
11月に転移がわかり放射線治療諦めましたが、本人は、自覚症状なく元気に過ごしています。
そんな母親と篠山に来て初めて一緒に年越しをしました。
孫との会話を沢山楽しんでいました。
これから母親と弟には、今の家の引っ越し準備に入ってもらい、
篠山に住んで残りの時間を楽しく過ごしてもらおうと思います。
まだまだ、通院や介護の事も山積みですが、自分自身のライフワークの準備にも取りかかりたいと思います。(^_^)

人付き合いは、正直苦手な私ですが、今年は、沢山のご縁に恵まれる様に努力します。
昨年末から11年ぶりに再会し繋がったご縁にも感謝して、沢山の人と廻り合いたいと思います。

ブログを読んでくださる方々にも沢山の幸せが訪れますように。