さぽーと・けあぺん(就労継続支援B型事業所 兵庫県丹波篠山市)

地域の方々と関わりながら、障がい者の方々と一緒に働き事業所を楽しみながら育てて行く日々のお話しブログです。

和男、半端ないって‼

2018-07-17 19:07:23 | 介護、福祉
6月の終わり、父を見舞いに行ったある日の事。
5月3日に心停止して、父の声も身体の動きが甦りの代償で失ったのだと思い込んでいました。
その日、とてもニコニコと酸素マスクしていても調子のいい表情でした。
相変わらずベット柵に浮腫んでいる両手を括られ、管を自分で外したり、
痒みのある所を掻いて血だらけになるのを防ぐ為と理解していても、
私は、この姿を見るのが本当に辛く、痒みのある所を掻いてあげるのが精一杯でした。
いつもように、父の腕あたりをを掻いてあげると、
「肩!」と父の声が!!!
空耳かな?と思ったら、「上っ!!」とやっぱり父の声。
「お父さん、しゃべれるの~?」と聞くと父、自分の左足を元気な人のようにあげたので、腰を抜かしそうになりました。
嬉しいと言うより、ビックリ!!どこまでもすごい人です。
後に知った事ですが、この日、父は、どなたかの善意の献血された血を輸血したそうです。
きっと、その方の元気も頂いたのでしょうね。

この日、聞いた父の声が本当の最後になりました。
7月7日の4:40、私達家族が到着した瞬間、父は、旅立ちました。静かで穏やかな顔でした。
ずっと父の看護をして下さった看護師さんにお聞きしたところ、
心停止を30分して66日間行き続けた人は、中々いないそうです。半端ないってことだったのですね。
家族葬で1日だけ、父を自宅に連れて帰りました。
9日の葬儀の日、その日は、父の新しい転院先の面談日でした。転院嫌だったのかもしれません。
明け方4時半頃だったでしょうか、葬祭場の外で空を見上げると前日までの大雨が嘘のように、雲ひとつない綺麗な青空でした。
明け方なのに、今年初めての蝉の鳴き声を聞きました。
なんとなく、父は蝉に生まれ代わったのかなと思いました。

父は、よくだだをこねて、「俺の人生や!!迷惑かけへん!!」と言うてましたが、
葬儀の後がまた大変で、迷惑かけてるやん!!といつか私が死んだときには、言うてやる!!と思っています。(^_^;)

そして、父や母親が入院した時は、決まって「こんな時こそ、家族の絆をしっかり結んでみんなで協力して頑張ろうなお姉ちゃん!」と言ってました。
その言葉を胸に刻み、これからは、まだまだ、病気の母親の事、聴覚障害の弟の事に取り組みます。

時間が経つに連れて、どこか父の姿が甦り、父の姿が砂のように消え、
もう話しも出来ないんだ、これで本当に良かったのか、後悔で泣けてきます。
よく喧嘩ばかりしていた父親ですが、私達の為にずっと仕事一筋で趣味も持たなかった父親を尊敬し、誇りに思う。
父が大切に育ててい、夏水仙の可愛いピンクの花が咲き、
写真のいつも身につけていた帽子と母親の手作りのマフラーとダウンを可愛い夏水仙の切り花と共に棺に入れました。
お父さん、本当にいっぱいありがとう。よく頑張ったね。
心残りなのは、2020年の東京オリンピックの開会式まで頑張るぞ!と言っていた希望を叶えてあげれなかった事。
ごめんね、お父さん。

和男の奇跡

2018-06-23 17:35:06 | 介護、福祉


父は、この2週間の間に肺炎で2回危篤状態になり、病院から呼び出しありました。
そのうちの1回は、夜勤の最中で、代表者の方に勤務を代わってもらい駆けつけました。
個室に移動され、血圧は、上が60をきり、脈は、20にまで下がりました。
2回目の病院での夜を明かしました。
明け方、呼吸が落ち着き出して、頑固者は、何度も生き返るの言葉通り生き返った父でした。

先生から、危ない状況の度に延命を聞かれます。
初めの時は、もう数時間~1日と言われ気持ちも動転しているけど、
高齢者の母親も聴覚障害のある弟も延命の答えを私に委ねてきました。
父親の人生が自分の答えで左右されるのですから、
本当に苦しい選択でした。
あ~こんな事なら、ちゃんと父親に聞いておけば良かった。( ;∀;)
大きな延命処置はしないで自然な形でお願いしますと、3回は、最低先生に言うているような気がする。

先生は、救急車で運ばれた時は、30分心停止していたので、口から人工呼吸器を挿入して、
その数日後には、気管切開して呼吸器を付ける予定だったのに、
それをつけないで酸素マスクだけになった事自体が奇跡だと話されていました。

今回もまた奇跡を起こした父でした。
ホームのメンバーさんたちからは、「和男大丈夫?」「和男、退院した?」と心配して聞いてきます。
何故か、父の事は、和男とメンバーさんたちから呼ばれています。(^o^)
父の生命力は、先生も先読み出来ないそうです。
何度も危ない状況になりながら心臓が弱って行くのが心不全の特徴のひとつのようです。

延命のこと、私自身もちゃんとエンディングノート作っておかないとあかんなあと思いました。
相変わらず、携帯にかかる電話が怖いです。
でも、職場の方々のおかげで救われています。

和男パワー

2018-05-30 09:45:35 | 介護、福祉


5月2日、父和男は、自宅往診デビューをしました。
その日珍しく正気に戻った父。
往診の先生にもしっかり受け答えして、
なんで父親は、先生の前になると症状も良くなるのか?不思議です。
和男の七不思議です。
往診デビューをしたのは、腰に褥そうを見つけたからでした。
平行して、介護保険の手続きも走りました。
先生が帰られた後に、「いつも迷惑かけてすまんなあ。お父さんに何かあったら、
先生と上手くやり取りお姉ちゃんしてくれな。」と子どものように大きな声で元気に言いました。
「長いことお風呂入っていないから、明後日夜勤明けにお風呂入れるからね!」と私。
父は、素直に「はい!」と返事しつつ、また認知症で怒りんぼうの和男になってました。

翌日の夕方、勤務中に母親から電話があり、父親の呼吸がおかしく泡をふいてお風呂場の前で倒れていると相談。
私より先に救急車やろ!!と、母親に救急車の呼び方教えて、私も病院へ。

父は、病院に運ばれ救急の先生の話しによると、救急隊員が到着した時点で
心停止、呼吸停止、瞳孔も開ききり30分経っているので、昇圧剤を使っても数時間~1日持つかどうかとの事。
どうしても、父が可愛がっていた篠山にいる私の息子に会わせたくて、なんとか延命をお願いした。
店主が篠山を往復し、父は、孫に会える事ができた。
地下の待合室のベンチで夜明けを迎えた。
悲しみに浸る間もなく、現実に向き合わないと気持ち切り替え
落ち着いているとの事で篠山まで息子を送り、葬儀屋さんの予約や、準備でフラフラになった。
父は、その日から体温33℃になりながら3日間眠り続けた。

明日、もう亡くなるかもしれないと思うと、あ~もっと優しくしてあげたら良かったなあとか、
あんなに病院嫌いやったから、病院やめてあげて手術も止めてあげたら良かったのかな?と
後悔ばかりしばがら、父親の棺に入れる物を準備していた。

聴覚障がいの弟が、「お父さん、目が覚めてしゃべってたで。僕の言うことにもうなずいてで」と言うから、
すぐに病院に行くと、本当にしゃべるし、目も開いている。
しかも、身体が痒いとベットで暴れ、くくられていた
亡くなる間際に調子戻ると聞くのでそれなのかなと思っていた。
翌日もよくわからないが話してる。
人工呼吸器を付ける手術の説明もあったけど、外せるくらい普通に呼吸してる。

確か、30分心停止して、呼吸も止まり、瞳孔開いてたよね。
それ1回死んでたって事だよね。これって生き返った?
恐るべし和男パワー!だと思った。
まるでマンガのような展開だった。
死に際に母親がこれまでの恨み言を言ってたからか、
まだまだこの世に心配ごとが沢山あったからか、
父は、生かされているのかよくわからないが?

職場の人もあまりに頑固なお父さんと知っているので、
生き返るような気がしたと言われ、私も笑ってしまう。

頑固な人は、何度も生き返るそうだ。当たっているようです。

辛口なほど②

2018-04-25 22:45:04 | 介護、福祉
和男ボイコット作戦は、成功しましたが、診てくれる先生がいないと困る。
本人不在で勇気を出して、3時間以上待って女性の先生に相談しました。

先生は、30代位でした。
先生は、大学病院から送られた紹介状を読み、

「中々のつわものですね。
お父さんの年齢を考えると、本当は、入院しないとあかんけど、
好きにさせてあげたら良いと思いますよ。
薬も飲まなくてもいいです。たぶん、飲めと言っても無理でしょう。
家族さんも頑固なお父さんだとしんどいでしょう。
怒らせないでいるのが、お父さんもストレスなく長生き出来る。
家族さんが大切と思っているかも知れないけど、
難しい人ほどなんだかんだと死ぬ死ぬと言いながらも長生きして元気なんですよ。
病院の患者さんの大半そあんな高齢者の人沢山います。
もうだめだ~となってからでも、ちゃんと受け入れますから。」
と、言ってくれました。
すごく自分の思いを理解してもらえたような気がして、
何だか張り積めたものが切れて泣いてしまいました。
他の人が聞いたら、先生らしくなかったかもしれないですが、
辛口な言葉に響くものがありました。

仕事でも、辛口な言葉で注意してくれる人には、どこか優しい思いやりを感じます。
厳しさの中にも寄りそってくれているような。
あ、でも嫌味や感情的なもんは違います。

怒られ慣れをしていない、今の若い人たちには、理解してもらうのが難しいかもしれません。
でもいつか、あの日怒られたことがどこかで自分の身に付いていたのなら
それは、大きな意味があった事になると思います。

父親にヘルパーのテキストに載ってたのと同じ流れで、いよいよ認知症の症状が現れてきた。
先週夜中には、近所を徘徊し叫んでいたそうだ。
本人は、悪い男が来たと言ってました。

今日、父親は、珍しく病院について来てくれました。
相当しんどい様子で「今日、死んでしまうような気がする」と口にしていて、
私もそうなるかもと不安でした。
病院の処置室でしばらく寝て、先生に声をかけられ父親は、いつもの和男パワー全開で復活してました。
先生も「どこが病気なんですか、検査も数値的に何も問題ないですよ」とあきれていました。( ;∀;)
先生の言葉通り、うちの父親にかぎっては、死ぬ死ぬと言う人ほど長生きする、当たってました。
これからも、私は、ひげ爺さんに励まされた「生まれた時からの定め」を胸に、
手を焼かされる父親ですが、敬いながらお世話をして行きます。

辛口なほど①

2018-04-20 18:23:39 | 介護、福祉
今週も母親、父親の病院と弟の事で忙しい1週間でした。
母親が通う病院に父親も通えるように、これまでの大学病院に手続きしてもらいました。
医療費の上限も同じ病院に家族が通っていないと意味がないらしく、
2人分の入院代がそれぞれ毎月恐ろしいくらいかかりました。( ;∀;)

大学病院の採血の順番は、いつも7:30から並び、
そこから父親を迎えに行き、採血の結果を2時間近く待ちやっと診察になります。
何も問題なければ、また父親を自宅に送り、病院に戻り支払いする。
その日だけで自転車、タクシーを使って3往復して夜勤に入る、
入院ともなれば時間との戦いでした。
先生も父親の心不全のためにあらゆる方法や投薬を考えてくださるのですが、
心不全は、利尿剤がメインで、寝る間もないくらいの大変さがあるのですね。

頑固な父和男は、今年初めの頃に、自分の身体なのに思う通りにならず、しんどいし、苦しいし、
頭と心のバランスが崩れたのでしょう、こんな身体なら死にたい、生きていても仕方ない、殺してくれと自宅で大声で泣き叫びました。
病院ばかり連れて行く私が悪いと罵られ、自殺騒ぎになり大喧嘩になりました。

それから、私も考え方を変えました。
父親の人生だから私が長生きして欲しいと病院に行っても
それは、私の自己満足なのかも知れないなあと。
父親は、その日から沢山の薬を飲む事を止め、自分らしく残りの人生を歩む事を決めたようでした。
でも、やはりいざと言うときは、浮腫で大変な事になるので、
母親が入院したときに自分も同じ病院がいいと父親が言うので手続きをお願いしたのですが、
今週、母親の治療には合わせて一緒行く~と何度も言ってたのに、頑固な父親は、なんだかんだと言い訳して
布団から出て来ずまんまと和男ボイコット作戦を成功させました。

つづく