これが牛馬童子の実物。石でできていて小さいものです。
それを巨大な木で彫るのでバランスが難しい。しかもアレンジ無しの「レプリカ」をという要望なのでたいへんです。チェーンソー彫刻職人として腕が試されます。
ところで最近よくチェンソーアート(チェンソーカービング)は「アート」なのかと疑問の声を聞きます。
私は「アート」とは自分の中で納得のいくアートと、他人から評価されるアートがあると思います。
そして作品そのもののアート性と、MASTERS OF THE CHAINSAWのように作っていく過程やその姿そのものがアートだということもあります。
私自身はチェンソーカービング・ビジネスとは依頼者の要望を満足させ、それ以上に喜んでもらえる作品、イベントを制作できる能力であり、職人魂であると思っています。
アーティストとは職人魂を持った職人であり、アーティストと職人は別という考え方は違うと思っています。職人の中にこそ真のアートは存在するのではと考えています。
いつの時代も変わらず人間が作り出すものは、アートとしての存在を感じさせるものが多くあります。この牛馬童子も素晴らしいものです。この牛馬童子を真似してそっくりに彫ることが今回の依頼主の要望でありますが、たとえ形だけを真似るのであってもその過程が重要です。現地まで足を運び、それを彫った人の思いを感じ、そして私が真似たこの牛馬童子が、今後観光のシンボルとなって活躍することを思い、100年以上生きた木の命をいただき彫るのです。あとは、それを見た人それぞれがどのように感じるかは分かりません。なるべく多くの方々にその思いを少しでも伝えられたらアートとしての価値を増すことでしょう。
それを巨大な木で彫るのでバランスが難しい。しかもアレンジ無しの「レプリカ」をという要望なのでたいへんです。チェーンソー彫刻職人として腕が試されます。
ところで最近よくチェンソーアート(チェンソーカービング)は「アート」なのかと疑問の声を聞きます。
私は「アート」とは自分の中で納得のいくアートと、他人から評価されるアートがあると思います。
そして作品そのもののアート性と、MASTERS OF THE CHAINSAWのように作っていく過程やその姿そのものがアートだということもあります。
私自身はチェンソーカービング・ビジネスとは依頼者の要望を満足させ、それ以上に喜んでもらえる作品、イベントを制作できる能力であり、職人魂であると思っています。
アーティストとは職人魂を持った職人であり、アーティストと職人は別という考え方は違うと思っています。職人の中にこそ真のアートは存在するのではと考えています。
いつの時代も変わらず人間が作り出すものは、アートとしての存在を感じさせるものが多くあります。この牛馬童子も素晴らしいものです。この牛馬童子を真似してそっくりに彫ることが今回の依頼主の要望でありますが、たとえ形だけを真似るのであってもその過程が重要です。現地まで足を運び、それを彫った人の思いを感じ、そして私が真似たこの牛馬童子が、今後観光のシンボルとなって活躍することを思い、100年以上生きた木の命をいただき彫るのです。あとは、それを見た人それぞれがどのように感じるかは分かりません。なるべく多くの方々にその思いを少しでも伝えられたらアートとしての価値を増すことでしょう。