CHAINSAW ART JAPAN・ケイジの仕事記録

木を切るチェンソーで木彫刻。チェンソーアートジャパン・ケイジの仕事などを記録したブログです。

秘伝・お話しを1つ

2011年02月12日 | チェンソーアート上達の秘訣
先におことわりしておきますが、今回の文章は本からの抜粋であり、宗教その他を強要するものではありません。しかし、この発想は私が彫刻をする上で、精神的に近いものであり、こういうことを思考しながらでなくては技術の上達もあり得ないと私は考え、ここに紹介するもです。また、特定の産業界に対する批判ではないことをおことわりしておきます。携わってきた方々の歴史や立場も深く理解した上で、少しずつ段階を経て、皆が平和になっていくことを願ってやみません。

以下・・・・

君あり、故に我あり 依存の宣言 サティシュ・クマール 著 講談社学術文庫より

地球上には八百四十万の種が生息している。
自然界のものは全て生きており、すべての命は神聖なのだ。
人間は、これら八百四十万種の生物の一つにしか過ぎない。
人間は他の種より多くの権利を持っているわけではない。
人間と人間以外のすべての生物が、生命への平等の権利を持っている。
人間は他の形態の生命を奪ったり、管理したり、支配したりする絶対的な権利など持ってはいない。そればかりか、人間は非暴力を実践し、生命世界の、謎に満ち偉大で豊かな、たぐいまれなる現象の前に謙虚である、という特別な義務を負っている。

その昔、パールシュヴァナータと呼ばれる若い王子がいた。
彼は自分の婚礼に際し花嫁の家に向かっていた。そのとき、彼は動物たちが檻に詰め込まれ、されるのを待っているのを見た。動物たちの鳴き声にショックを受けた王子は訪ねた。
「何故あの動物たちはかくも無残な状況に置かれているのか?」
王子の付き人がこう答えた。
「あの動物たちはあなた様の婚礼の御馳走でございます。」
若き王子は、憐れみの念に圧倒された。

婚礼の式場に到着すると、王子は花嫁の父親と話した。
「ただちに、そして無条件に婚礼のためにされるために囚われているあの動物たちは、全て解放しなくてはなりません。」と王子は言った。
「何故だね?動物たちの命は人間の楽しみのためにあるのだ。動物たちは我々の奴隷であり食肉である。肉なしの宴会などありえるだろうか?」と花嫁の父親は言った。

王子は困惑した。

彼は、たった今聞いた言葉が信じられなかった。王子は叫んだ。
「動物たちにも魂があり意識もあります。彼らは我々の親類であり、我々の祖先です。我々と同じように彼らも生きたがっています。彼らにも感覚や感情があります。愛や情熱もあり、我々と同じように彼らも死を恐れています。彼らの生存本能は我々に勝るとも劣りません。彼らの生きる権利は、我々自身のそれと同様に基本的なものです。動物たちが奴隷化され殺されるならば、私は結婚も、愛することも人生を楽しむこともできません。」

王子はそれ以上騒ぐこともなく、結婚の催しを拒絶して式場から立ち去った。王子としての快適な生活を捨てて、利己的に考え自分の楽しみや慰みのために動物を殺すことに慣れてしまっている、眠れる大衆を目覚めさせようという自分の内なる声に従ったのである。

動物たちへの愛を含まない愛は、愛ではない。人命は尊重するが、動物のを無視するのは、一体どんな種類の共感だろうか?

人間と動物を区別し、動物の利益に優先して人間の利益を置くことは、セクショナリズム、人種差別、階級やカーストの差別、そしてまた種による差別の始まりである。動物を奴隷化するのと同じ心理構造が、自己利益、国家利益、その他無数の視野の狭い利益の名の下に人間を奴隷化することになる。だからこそ、全ての生命に対する無条件かつ明白な畏敬を主張するものである。

インド・ジャイナ教の教えから・・・・