CHAINSAW ART JAPAN・ケイジの仕事記録

木を切るチェンソーで木彫刻。チェンソーアートジャパン・ケイジの仕事などを記録したブログです。

「感謝して食べる」と言うことについて考えてみた

2012年09月30日 | オーガニックライフ
美味しく食べてあげればよい。感謝して食べれば良い。一般的によく使う言葉です。

感謝して食べれば良いこと自体はその通りです。でも感謝の意味ってどうだろう?本当に感謝して食べている人がどれほどいるのだろうか・・・。

食べる時に想像しなくてはいけません。その食べ物の命がどうやって培われ、どうやって失われたのかを。植物も含め全ては命、それも事実です。今日本は飽食で、いちいち食べるもののルーツを考えることをしなくなっていますが、その食べ物のことを考えてあげることが感謝の第一歩です。

さて、まずレタスなどのお野菜や果物を食べる時、またはご飯を食べる時考えてみてください。(あくまでも自分で作ったものですが)さんさんと輝く太陽の下、すくすく育った野菜を収穫したときとても嬉しく楽しく、畑も美しく輝きます。そしてその種を残すために一部の野菜は成熟します。大切に大切に。野菜や果物は食べられることによって繁殖し、人類を含む地球上の生物と共生しています。 その喜びを「感じ」、「謝恩」しながら食べることが、植物を食べる時の「感謝」です。

(ただし、農薬・除草剤などをたくさん使って大量に生産される畑では、そこで取り残された野菜達の無残な姿は可哀想ですが。それはさておき。)

次にお肉を食べるとき、考えてみてください。

まず、お肉に感謝したり美味しく食べてあげるのではなく、殺された動物に対し感謝しなくてはなりません。そしてそれは必ず誰かが殺した動物であるということです。自然死した動物は基本的に食べませんよね。

その動物が育てられた環境やその動物が殺される時のことを想像し、痛み・死への恐怖を「感じ」て「謝罪」しながら食べる事を、お肉を食べる時の「感謝」と言うのです。

飢えている自分に動物がその血肉となって助けてくれることがそれです。いろいろと交錯されているようですが、自らが望んでその命の糧(かて)となる行為と、飢えてもいない者が自らの賞賛のために他の命を奪う行為は全く別です。

自分の代わりにその動物を殺してくれている人のことも想像してください。恐ろしく悲しくたいへんなお仕事です。

・・・・言葉だけで「感謝」なんて言っても意味はありません。むしろ憎しみしか湧かないでしょう。戦争でもし、家族が殺されて「お国のためにあなたの家族を殺させていただきました。感謝します。」って言われてもどうでしょうか? 許せますか? これが魔のサイクルなのです。

「美味しくいただけば良いのです」なんて、誰が言ったのでしょう。それは「楽しく殺せば良いのです」と同意語であり、舌の快楽に理由を付けているだけです。

ましてや「美味しいから止められない」は「楽しいから人を殺すのが止められない」「快感で麻薬が止められない」とまさに同じ。

・・・・・どうしても食べる時はその「痛み」「恐怖」「無念」をも感じ、いただかなくてはならないのです。

以下、付録
■動物性タンパク質が人間には必要不可欠で、昔から狩りをして?・・・・・
■栄養失調者にお肉を食べさせたら改善したから必要?・・・・・・・・

では人類は肉食成、雑食性なのでしょうか?人間は他の動物を狩猟して肉を引きちぎって食べる人体組織を持っていません。武器を持たなくては狩猟ができません。肉食性動物や雑食性動物は必ずその狩猟用の機能を体に備えています。体内の分泌物も植物を分解するのに適しているようです。ゴリラやチンパンジーと同じように、人類は完全草食性動物なのです。

チンパンジーは肉を食べると反論する人が居ますが、それについてはよく考えてください。それは普段の食性とは異なります。(調べれば分かります)

栄養失調者にはお肉でなくてもバランス良く新鮮な植物を食べさせてももちろん改善されます。もともと栄養失調なのですから。

※反論などを聞こうとは思いませんし、言い争いもしませんので、意に沿わない方は読まないでください。よろしくお願いいたします。



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