ある教会の牧師の言葉が気にかかった。「宗教はそもそもいかがわしいものです。」つまり、ありきたりの”事理”では人を惹きつけられないということかもしれない。どこにもいない神様の話とか、天からお告げがあったとか、奇想天外の事理で人に語り掛けることこそ宗教の核心なのだろうと思う。そんな存在しない戯言ゆえに誰も証明できない。そうなると、真偽の判断が人間にはできなくなるのである。
どんなに科学が進んでも、科学が解き明かせない森羅万象ゆえに、どんな賢者でも太刀打ちできないのである。そうなったら抗うことを止めて、思考を停止し、そこから立ち退かなければならない。例えば、宇宙の果ては138億光年だとしても、その先は無意味の世界なのである。逆に、138億光年の宇宙誕生の前を考えるのも無意味なのである。解らないことを考えたり、何かに頼ったりするから間違いが起こるともいえる。
要するに、”いかがわしいから宗教なんだ”ということを理解することが現代人に必要な知恵かもしれない。