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田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

八女福島の町並みとぼんぼりまつり

2020年03月20日 | 日々の出来事

 八女市でぼんぼりまつりが行われています。八女は短期間ですが福島城の城下町だった時代があります。一国一城令により廃城になった後も、往還沿いの町人地は八女地方の中心的な商家町として栄えました。

 むかしの往還が通っていた本町筋には、白壁の町並みが残っています。この通りにある横町町家交流館にお邪魔しました。

 関連イベントは中止になりましたが、雛飾りは展示されていました。

 ここには毎年、たくさんのひな人形が飾られます。

 男雛もあります。こうして並べられると、つい中国の兵馬俑を連想してしまいます。

 交流館は、もとは造り酒屋だった建物です。

 旧往還を歩くことにしました。吉井町のように白壁土蔵が櫛比しているわけではありませんが、古い町並みが続いています。

 宝永年間創業の茶商「矢部屋許斐本家」。居蔵造りの7棟が市の文化財に指定されています。予約制の喫茶室もあるそうですが、万事不調法の私には少し敷居が高そうです。

 建物は木造です。このようなファサードは昔見かけました。

 左の建物は新聞屋さん。上に掲げた看板には「牛島新聞舗」とあります。

 蒲鉾屋さんです。升目の棚に並べられた蒲鉾は商品見本でしょうか。目出度い意匠ばかりで、結婚式の引き出物によくありました。右手には手回しのかき氷機。年季が入った代物です。こういうものを見るのも街歩きの楽しみです。

 硝子戸の向こうには古い箱雛があり、ご自由にお入りください、との紙札が下がっています。ぼんぼりまつり期間中、各商店にこうした雛飾りが展示されています。煙草を売る窓口に、お年を召した看板娘が座っていそうな気がします。

 八女は仏壇、提灯、人形、竹細工、和紙、石灯篭などの諸工芸が盛んな土地です。

 造り酒屋だった堺屋(旧木下家住宅)です。往還に面したところは休憩コーナーになっています。

 いまは主屋はなく、離れ座敷と庭園などが残っています。屋敷の庭に、市内の寺に墓がある山本健吉と石橋秀野夫妻の句碑がありました。

 「こぶし咲く昨日の今日となりしかな」 健吉

 夢の中で知人の葬式に行き、夢の中で故人を偲ぶ句を詠んだもの。

 「蝉時雨児は擔送車に追いつかず」 秀野

 死の2か月前、京都の宇多野療養所に入院したときの絶筆。

 句碑の建立については、地元在住の画家杉山氏の「善知鳥吉左の八女夜話」ブログでエピソードが語られています。 

 離れ座敷にも雛飾りがありました。

 堺屋から見る往還風景。

 町人地を貫く往還は、福島城の南を迂回するように半円形に走っています。写真の突き当りの曲がり角は枡形の名残です。近代になって、商業地としての賑わいは北側の国道や、さらにその北に開通したバイパス周辺に移りました。

 時代に取り残された旧往還沿いには、おかげで古い町並みが残りました。

 いま来た道を引き返す途中、往還から入った路地の突き当りに郡役所があります。明治半ばから大正にかけて、県と町村の間に郡という地方自治体が設置されました。いまでは郡は単なる区域名ですが、昔は郡長がいて、れっきとした行政機関があったのです。

 この建物は荒れ果てていた郡役所を、地元の人々がリフォームしたものです。店が入っていたり、イベント会場として使われています。 

 結構大きい建物です。いちど中に入ったことがありますが、天井が高くがらんとしていました。郡には議決機関があったので、ここが議場だったのかも知れません。

 最初の道まで戻ってきました。突き当りは福島八幡宮です。なにかあっています。

 大道芸の公演です。鳥居のところには受付があり、マスクの着用を求められました。ないと言うと、手作りのマスクを渡されました。今はどこでもマスク姿が目立ちます。

 八幡宮に参拝して帰ります。階段を下りた右手の空き地では、秋の放生会で燈篭人形の奉納公演が行われます。燈篭人形は家一軒分もあるような大きな屋台を組みたてて演じられます。数年前に投稿した記事があるので、関心のある方はこちらをクリックしてください。別ウィンドウで開きます。

 

 

 

 

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