11月2日は北原白秋の命日。その前後、郷里の柳川では白秋祭が行われます。その一つとして三日間にわたり夜の水上パレードが催行されます。6年ぶりに出かけました。ただ前回もそうでしたが、素人の夜間撮影なのでほとんど紹介できるような写真がありません。雰囲気だけでもお伝えします。
出発点の沖ノ端には40艘近くが集合しています。左手の神社は沖端水天宮。以前は上流から掘割を下っていましたが、下船場からの川上りに変更されていました。
午後6時15分、雅楽の調べの中を出発です。
市長以下の万歳三唱に見送られながら次々に舟が出て行きます。柳川の川下りというと、掘割を静かにどんこ舟で下るという印象がありますが、この水上パレードは大変賑やかです。
立花家史料館の通称「殿の倉」の前。
それぞれの舟には折詰やお酒が持ち込まれています。
堀端で演奏する沖の石太鼓。
舟は上流へと上っていきます。2時間の小さな舟旅です。
ここは中間点。日吉神社の船溜まりです。迎えるのは女性による日吉太鼓。運のよい川下り客は、ここで神前結婚式を挙げた新郎新婦が披露宴会場へ行く花嫁舟に出会うことがあります。
水上売店を舟が過ぎて行きます。
この辺りから堀端には地元の人や子ども達が並んでいて手持ち花火で歓迎します。乗船客と声を掛け合ったりお菓子を投げたりのやり取りが面白い。
左手の明るみはブラスバンドの演奏です。これから先も色々なアトラクションが用意されています。私はここで引き返すことにしました。この催しは大変人気があって乗船予約は半年前から。水上パレードは没後10年の白秋祭の一環として始まり、今年で72回目といいますから観光川下りよりも歴史が古い。
夜の川下りといえば、明治40年に明星派の詩人たちが当時の柳河を訪れた紀行文「五足の靴」に出てきます。白秋たち一行が、三柱神社の太鼓橋脇にある懐月楼から沖ノ端の北原家の土蔵まで掘割を舟で下る美しい描写があります。少し引用します。
「楼を下りると月が雲を漏れた。二人の船頭が棹をさす、船は余らを載せて真菰の中に入った。蓮の花、蓮の葉、真菰、水藻、台湾藻などがしめやかに香り合う、鈴虫が啼く、どこかに水鳥の羽音と啼く声がする」
この晩は年に一度の観音講の日。川を下る途中、堀端をご詠歌を流して歩く娘たちに出会います。柳河の習俗である彼女らの白装束を見て、紀行文の筆者は思わず敬虔の念を抱くのです。
出来れば夏の夜、月明かりの下にどんこ舟で静かな掘割を下ってみたいですね。
没落する少し前で、長男の白秋には生業を手伝ってもらいたかったでしょうね。
「五足の靴」での柳川の描写は美しいです。旅の中で、白秋は後の南蛮趣味を思わせる詩も作っています。