三日目の老神温泉。当初一日中宿でゴロゴロする予定だった。ところが宿の観光案内を見ると近場に怪異な場所がある。吹割の滝である。「ふきわれのたき」。聞いたことはなかったが写真を見るとなかなか壮観。また宿の中には短歌を書した色紙があちこち掛けてあるが(トイレに腰かけた目の前にも)宿の人に聞くと女将が短歌をよくする人で牧水がこの地を訪れ歌をのこしているという。調べると牧水の歌碑と片品川の遊歩道と吹割の滝が一直線上に位置していることがわかった。散歩には長いがバスを使えばそれほどでもないだろうと軽い散策のつもりで出かけることにした。
なおこの日は6時起床。前日の尾瀬ハイクの疲れをとるため赤城の湯に入り七時に朝食。献立は以下の通り(推定)。前の晩にご飯は一膳と伝えてあったのでお櫃(ひつ)で出でくることはなかった。
・おかゆ
・搾菜(ざーさい)
・雪花菜(きらず=おから)
・ひじき煮
・えのき醤油煮
・高野豆腐と茸とほうれん草の煮物
・鯖塩焼き
・ハムエッグ
・サラダ
・御飯
・味噌汁
・御新香
鯖の塩焼きには正体不明の何か(舞茸の佃煮を細かく刻んだもの?)が薬味のようについていて良い味のアクセントになっていた。
一服してから女将にちょっと出かけてきますと声をかけ出発。
* * * *
牧水の歌碑は宿から1kmほど離れた片品川沿いの橋のたもとにある。近くには蛍の保護地もある。そこまでバスで行くことに。宿近くの「観光会館前」バス停から沼田市のコミュニティバスに乗る。おそらく地域の足的な役割あるいは社会実験的と思われる路線バスの10人乗りワゴン車は前日の乗り合いバスと同じ形である。客は私一人。運転手さんに「料金はどこで払いますか」と訊くと「降りるときに」。3分程で大楊入口(だいよういりぐち)に到着。「おいくらですか」「100円です」。
バス停から100mほど北進。橋の入口近くに蛍の保護地がある。保護活動報告の掲示物と保護地らしい小さな流れが見られる。ただ現在近くの河川敷で工事が行われ騒音が蛍にはだいぶストレスになるだろうと思った。
橋の入口を少し入ったところに牧水の歌碑がある。
「かみつけのとねの郡の老神の時雨ふる朝を別れゆくなり」
牧水は大正11年(1922)10月に長野、群馬、栃木を旅し「みなかみ紀行」を綴っている。この旅で老神温泉を訪れ詠んだ一首。「別れゆく」は途中同行した生方吉次との別れを惜しんだもの。「朝を別れゆく」の「を」に余情がある。別の碑には次の一首。
「相別れ われは東に 君は西に わかれてのちも 飲まむとぞおもふ」
これも同じ人との別れを詠んだもの。「飲まんとぞおもふ」が呑兵衛の牧水らしい。
他にもいくつか歌を刻んだ石碑があった。詳細は不明だが作者名と居住地が刻まれていることから牧水にゆかりの歌会か何かの入選作かもしれない。
「牧水橋」を渡り遊歩道をのんびり歩く。
この日は秋晴れ。
川の畔には黄金色の稲藁の列。
片品川の水は陽の光を浴びて金波(きんぱ)に輝きスケール感ある流れの音を響かせている。
1.5kmほど、時間にして30分程歩き栗原橋とちとせ橋を渡る。ちとせ橋から見下ろす片品川の流れはエメラルド色。深い谷をのぞき込む形になり足が竦(すく)む。美しくも怖ろしい眺めだ。国道120号を横断すると吹割の滝の入口である。
吹割の滝を見るにはいくつかのスポットがある。宿の案内などを見ると遊歩道沿いにぐるりと一周して見られるようなのでまずは遊歩道に入る。歩き始めてすぐに険しい山道であることに気づく。あまけに「落石・足元 に注意」とか「熊出没注意」の看板。「これ普通に登山だろ!?」と思いながら登る。三か所の観瀑台(かんばくだい)は樹々に視界が遮られ滝の全景が見渡せない。ふと道端に石碑が並んでいるのに気づく。どれも短歌→俳句が刻まれている。どうやらこの滝を詠んだ歌→句で毎年のコンテストで選ばれたものらしい。山歩きに辟易していた心が和む。どうもこのあたりは短歌→詩歌愛好の地のようだ。
ヒーコラいいながら登山道を下り橋を渡ると対岸からは流れ近くの遊歩道で滝を間近に見ることができる。
吹割の滝は全体としては「吹割渓(ふきわれけい)」に属し上流から「浮島(うきしま)」、「千畳敷(せんじょうじき)」、「吹割れの滝」、「吹割渓谷(ふきわれけいこく)」、「鱒飛の滝(ますとびのたき)」とある。
「浮島」は「分流する片品川から削り残された島」。観音堂が立ち吹割橋と浮島橋がかかる。「千畳敷」は「滝の上流に見られる広い川床」で「川の浸食が進み川床の勾配がゆるやかになると下(川床)を削るより、横(両岸)を削る力が強く働いてできる」。
浮島橋から望む下流側。地表が露出しているのが千畳敷。
「吹割れの滝」は川の中ほどにできた幅20m、深さ7mほどの溝に水が流れ込む独特の滝。三方から水が割れ目に流れこむさまは壮観。瀑布という名に相応しい。というか落ちたら確実に溺れる。手すりもなく緩く張られたロープがあるだけの遊歩道はその気になれば簡単に滝つぼに近づくことができる。スリリングである。
写真(↓)の左中央の川床の穴はポットホール(甌穴〔おうけつ〕)と呼ばれる。川底のくぼみにあった石が水の力で回転しながら岩を掘り下げることによってできた穴である。
「吹割渓谷」。切り立った崖は数十メートルに及ぶ。たしかに奇岩といっていい佇まいで迫力を感じる。エメラルド色の流れが神秘的。先程通ったちとせ橋は下流にある。
「鱒飛の滝」は落差約15mの滝。元々鱒がここから上流に行けなかったので「鱒止めの滝」と呼ばれていたそうだ。
遊歩道からはよく見えなかったが辺り全体に細かい水飛沫が飛び散り秋の陽射しを浴びてきらめいている。
天然のミストに全身を包まれしばし見とれる。
流れから逸(そ)れて遊歩道を登っていくと土産物屋があった。土産物屋といっても近所の野菜の直売所に売っていそうな野菜や果物もたくさん並んでいた。また品数が異様に多いように思えた。何年も前から店頭に並んでいそうなのもあった。土産物屋は2軒あった。私は誘惑に負けて手前の店で栗ソフトと絵葉書を買った。
2軒目の店は食事ができるようなのでちょうどお昼時だし入ろうと思った。そう思って眺めているとちょっと普通の店とはちがう感じがした。「農家の人が作った竹細工のバッグ」が「20,000円(手間賃)→2,000円」のように値付けされたものがいくつもあった。店は間口が広く5つほどの棟に分かれていた。そのうち2棟には辻まことの「多摩川探検隊」に出てきそうな古い木の根や木材が工作中もしくは工作予定のごとく天井近くうず高く積まれ店の外にまであふれていた。店にはおやじが一人いて店先の炉端で魚を串に刺して焼いていた。客はいなかった。
私がおやじに「お蕎麦に魚をのっけて食べられますか」と訊くとおやじは「はい」と気のない返事をしてなぜか隣の棟に引っ込んでしまった。ほどなくオカミさんらしき人が現われ「茸蕎麦(きのこそば)に魚をつける形になりますがいいですか」と訊いてくるので「いいです。鮎をのっけてください」とお願いした。店の奥にあるテーブルに座る。店内には「滝の裕ちゃん」と書かれた紙が貼ってありおやじと石原裕次郎が一緒に写っている写真が飾ってあった。テーブルにはギターや新宿の写真集が置いてあった。公私混同感が満載であった(個人の商店だろうから全部「私」でいいのだろうが)。蠅が3匹ほど飛んで去らなかった。
昭和である。それが郷愁を誘うのだ。
蕎麦がきた。「おでんとお菓子はサービスです」といって味噌田楽とお菓子がついていた。ほどほどの量のお蕎麦にそれなりの大きさの鮎、おそらく干したものを焼いただろうものがのっていた。茸は蕎麦の中に少し入っていてそのほかに天ぷらにして別の籠にけっこうな量盛られていた。天ぷらは料理屋の上品な天ぷらではないが立ち食いソバの揚げ置いたものでもなくどちらかというと唐揚げに近いもので非常に美味しいとは言えないがそれなりに食べられる独特の味だった。所謂「マズウマ」に属するかもしれない。
店の名前は「まちこ茶屋」という。看板にそうあった。「三代目元祖まちこ茶屋五十周年 平成十六年」という看板もあった。「まちこ」さんが誰なのか「元祖」ということは支店があるのかとかは無用なツッコミだろう。まとまったメニューはなく壁や柱に料理や酒の種類が紙に書いて貼っててあった。「手作りカレー」とか「焼き饅頭」とか注文したいとは思わないが見たいとは思うものはあった。店内に飾られた額縁には店主に送られた地域貢献に関する賞状などもあった。
「滝の裕ちゃん」は吹割の滝にいるから「滝の」であり裕次郎と会ったから「裕ちゃん」なのだろう。おやじの名前が「ゆうちゃん」なのかどうかは確かめなかった。
滝に負けない奇妙なスポットを出て再び遊歩道を登ると国道12号に出る。少し行ったところに六角堂がある。通りを入って階段を少し昇ったところ。ここからは吹割の滝の流れ落ちるさまがよく見えた。階段には栗のイガがずいぶん落ちていた。なるほどこれなら熊も出る。
帰りはバスで行くことに。関越交通バスの「吹割の滝」バス停から13:50の上毛高原行に乗る。この便は老神温泉には停まらないので最寄りの「大原老神入口」停留所で降りる(所要時間約5分、バス賃350円)。老神温泉まで約1km。山の緑と田んぼの黄金色を楽しみながら歩く。
14時30分宿に到着。気づいたらズボンに何かの種子がたくさんくっついていた。こういう経験は小学校以来かもしれない。ひと風呂浴びて少し寝ることに。まだ貸切風呂を利用していないことに気づいてフロントに予約の連絡を入れる。女将が直接鍵を開けに来るというので案内してもらう。風呂の名前は「もみじ谷」。シンプルでこじんまりしたいい風呂だ。
この日は布団はそのままに掃除も不要とお願いしてあったのだが外出している間に布団を片づけられてしまったので入浴の間に布団を用意してもらい少し眠った。
夕食は6時から。最後の夕食になるのでこの日は献立表がついてきた。見ての通り素敵な料理である。地の物を活かしつつ創意工夫のある和の膳。私はビールと赤ワインを別注文した。和食に赤ワインは無謀と思ったが白ワインから日本酒では面白みがないと思い冒険してみたのだ。しかし赤ワインは全く合わず前夜の赤城山の残り2合を飲んだ。この料理なら水芭蕉の純米吟醸&ご飯無しでちょうどだと思った。赤ワインは女将の手造りデザートとともにナイトキャップに。こうして老神温泉第三夜は更けていったのである。
* * * *
10月1日朝。6時起床。早起きして朝市に行きひと風呂浴びてから朝食のつもりだったが昨夜のワイン300mlが効いて起きるのが少し遅くなった。老神温泉では毎朝6時から7時30分まで朝市が開かれているというのでとりあえず覗いておこうと思ったのである。場所は宿から1分程度の至近。浴衣に丹前で行ってみると温泉客がちらほら買物をしてしていた。お土産だろうたくさん買って車のトランクに積んでいる人も。店の人は近所の農家の人が多いようだ。自家製の商品を色々並べていた。通りがかかると声をかけて色々説明してくれる。私は撮影だけして帰るつもりだった。しかし聞いているうちに買いたくなった。元々買うつもりがなかったので財布を持ってきていなかった。そういうわけで一通り撮影を済ませたた後一旦宿に戻り財布を持って再び訪れいくつか買った。
・花豆
・揚げこごみ
・みそ山くらげ
・おいしいいちじく
・子持ちきくらげ
・ひたし豆
・えごまドレッシング
・炭酸まんじゅう
宿に戻り若女将かだれかに「朝市でちょっと買ってしまいました」と言うと「直接だと買っちゃいますよね」と言われる。「まあ、ここでしか買えないものもあるので」と答える。そうでもないのかもしない。同じ品はここでなくても買えるかもしれない。実際に「東京にある県のアンテナショップにもありますよ」と朝市の人が言っていた品もあった。そうではなくて何となく買ってしまったのだ。「ひたし豆はこうやって作るとおいしい」とか「(いくつかあるドレッシングのうち)ここならではのは?」と問うと「えごまですね」とか「炭酸まんじゅうって何ですか」と訊くと「昔ながらのふくらしこを使ったまんじゅうです」とか。(このまんじゅうを買ったら「形が悪い」ので売り場に出してないものをオマケにいくつかつけてくれた。帰りの電車内で食べたので写真に写っていない。)土地の人とのふれあいだとか同じお金を落とすのでも直接地元に落とす方がとかいろいろ言えるだろう。でも何となく買ってしまったのだ。「直接だと買っちゃいますよね」とはそういうことかもしれない。いずれにしても旅先でお土産などまず買わない自分がこんな買物をしたことに驚いた。
7時30分。朝食(宿で最後の食事)をとり時間帯で男女が入れ替わる内湯「しぶつの湯」に入る。この湯から階段を降りると「水鏡」という露天風呂があったのでこれも入った。こちらの存在には気づいていなかったが番傘の飾りが素敵な露天だった。
9時30分。フロントで舞茸の佃煮を買いお勘定をし宿の人に「お湯も料理も山も楽しめました」とお礼を言い「これ、よければお持ちください、うちでとれたものですが」と大ぶりの茄子10個ほどを渡され土産物でパンパンのリュックに詰め込み宿を辞した。
宿から上毛高原駅まで送迎バスで40分程。駅の立ち食いソバ屋できのこ天そばを食べ11:43発上越新幹線Maxたにがわ(1階)に乗車。1階席は走行時に眺望がほぼ望めない。東京までの1時間でそれを確認することができた。13:00東京着。はせがわ酒店で日本酒を一本買いJR中央線で新宿へ。新宿から小田急線で生田へ。14:30生田着。14:45自宅着。こうして旅は終わった。
* * * *
後記
帰ってきて旅を振り返り調べていると意外なことがわかり新たな感慨が生まれる。
老神温泉から片品川そして吹割の滝と歩いた道は奇しくも牧水の歩いた道と重なっていた。
「滝の裕ちゃん」は吹割の滝を凌ぐインパクトがあった。
朝市の買物は今後クセになりそうだ。
そして伍楼閣。親しみをもって連泊の私を気遣ってくれた仲居さんたち。会うこともなかったが創意ある料理を提供してくれた料理長さん。(4日間で体重が3kg増えた。)そして歌詠みの女将さん。温泉、料理、酒、歌の揃ったこの宿は当地を象徴する宿かもしれない。
夢の風景を求めた旅は終わった。
後日宿から届いた葉書に次の句が寄せてあった。
秋澄むや
隣りへ行くに
遠まはり
動画 20200930 吹割の滝 片品川
アルバム 20200930 吹割の滝・片品川散策
20201001 老神温泉の朝市
付記1
牧水の歌「かみつけのとねの郡の老神の時雨ふる朝を別れゆくなり」について
①「かみつけ」は「上毛野(かみつけ)」で今の群馬県。「とね」は「利根」で現在の沼田市・みなかみ町・片品村・川場村の一帯。「かみつけ」という地名の由来は次の通りである。古代関東の「毛野(けの/けぬ)」という勢力が「上」と「下」の二分され「上毛野(かみつけの/かみつけぬ)」「下毛野(しもつけの/しもつけぬ)」となり大宝律令で「上毛野国(かみつけの/かみつけぬ)」とされその後「上野国」と改められた。「こうずけのくに」、「かみつけのくに」などと読む。今の群馬県。「上毛野」の名は「上州」や「上毛(じょうもう)」に名残りをとどめる。因みに「下野国(しもつけのくに)」は現在の栃木県である。
➁「別れゆく」の相手は生方吉次という人物である。彼が何者かというと沼田に古くから薬種業を営む生方誠(せい)という人物の親戚である。牧水が沼田の宿に逗留した際に生方誠が吉次を連れて牧水の許を訪れ吉次だけが老神温泉まで牧水に同行したらしい。牧水は地元の愛好者を招いて歌会を行っているので生方誠の訪問もその機縁によると思われる。生方誠は後に群馬の女流歌人生方たつゑ(1904~2000)の夫となる人で市井の歌人であったと推測される。
→生方記念文庫企画展「若山牧水~利根沼田の旅~」(沼田市HP) (魚拓)
→生方記念文庫企画展「利根沼田の女流歌人 生方たつゑ・江口きち・村上順子・石田マツ」(沼田市HP) (魚拓)
③老神温泉で詠んだ二首は「みなかみ紀行」には収められていない。牧水が老神温泉に宿泊した際番傘に書いたものでその番傘は現在沼田市の牧水記念館に保存され番傘の歌碑が舒林寺にあるという。今思えば伍楼閣の玄関や露天風呂「水鏡」に飾られた番傘はこれ因んだものであろう。
→「みなかみ紀行」の旅 (魚拓)
→若山牧水「みなかみ紀行」 (魚拓)
④牧水が宿泊した「白壁の宿」は今年の5月に閉館した。
→ 白壁の宿 ニュー牧水苑HP (魚拓)
付記2
吹割の滝について
①吹割の滝
約900万年前に起こった火山噴火による大火砕流が冷えて固まった凝結石灰岩(ぎょうけつせっかいがん)と呼ばれる岩石からできた吹割渓に属する。吹割渓は約一万年前頃から片品川の流れにより浸食され現在の姿に変化してきたと考えられている。吹割の滝は川の中程に溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)の割れ目に沿うように幅20mほどの溝が数十mにわたって続きこの溝に向かって三方から川の水が流れ落ちる独特の滝で落差は最大7mある。
➁吹割渓谷
およそ1万年前に片品川と栗原川の合流点で生まれた滝が上流へ侵食(後退)していった際にできた深い渓谷。切り立った崖は数十mに及ぶ。
③鱒飛の滝
吹割渓谷の上流部にある滝。元々鱒がここから上流に行けなかったので「鱒止めの滝」と呼ばれていた。
④ポットホール(甌穴〔おうけつ〕)
この甌穴〔おうけつ〕は私の住む生田の駅前を流れる五反田川に見られ川崎市の地域文化財に指定されている。
→「甌穴(おうけつ)」 看板で周知 五反田自治会が設置(多摩タウンニュース20200417) (魚拓)
付記3
大蛇みこしについて
写し損ねたが朝市会場脇の大蛇みこし展示館の大蛇みこしは実際にはU字型の建物内に100mほどの長さで展示してある。
付記4
バスについて
老神温泉には関越交通と沼田市のコミュニティバスが通っている。関越交通は基本的に国道120号線を走り本数も多いが国道から1kmほど外れる老神温泉バス停には一日5便ほどしか停まらない。あとは国道まで1kmほど歩いて大原老神入口バス停から利用することになる。沼田市のコミュニティバスは本数は多くないが関越交通の便がない時間帯に通ることがある。ただし10人乗りワゴン車なので確実に乗れるかどうかわからない。ネットで路線と時刻表を調べればどちらも利用可能だが沼田市のコミュニティバスについては市役所のホームページに掲載されているが観光案内には載っていないため調べるのにかなり時間がかかる。一般の観光客は関越交通バスかタクシーを利用するか宿に相談するのが無難かもしれない。
付記5
復路の新幹線について
JRのネット予約(えきねっと)で新幹線格安チケット(35~50%OFF)を利用すると2階建て車両は1階部分が割り当てられる。2階建て車両の1階席を利用したことがなかったのでどんな感じか試すこともあって1階席にした。座った時にホームが目の高さにくるのは新鮮だったが女性の足元を覗いていると勘違いされないか視線に気を遣った。
付記6
小さい写真はクリックして拡大できます。
付記7
最近つぶやいた曲
Sheryl Crow - Soak Up The Sun (Radio 2 Live At Home)
Chloe x Halle - Do It (Official Video)
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