大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

20200928-29 飛ぶ夢を見ない -尾瀬へ―

2020-10-06 08:24:44 | 日記

飛ぶ夢を見たのはいつまでだろう。
晴れ渡る山野を飛ぶ夢。
眼下に見えていたのはどこか遠い山の上に広がる水草原。
満々とした水面(みなも)に生い茂る水草。
その水草の上を私は低くぎりぎりのところを飛んでいる。
本当に飛ぶことができるのかとどこかで思いながら。
それでも夢の中ではその気になればいくらでも飛ぶことができた。

飛ぶ夢を見なくなった。

そうしてあの風景に近い場所が尾瀬であることをいつとはなしに知った。
そうしていつか夢の光景とどう同じなのか確かめたいと思うようになった。

*   *   *   *

尾瀬は群馬、新潟、福島の三県にまたがる高原である。それぞれの県から登り口がありルートもさまざまある。私のイメージは広大な湿原に木道(もくどう)が一筋続く「尾瀬ヶ原」に近い。最もポピュラーで登山初心者でも楽しめるということでまずそこを目的地とした。

準備段階でいろいろなことがわかった。標高千五百メートルほどの高地ゆえ登山の装備を調えないといけない。登山口から尾瀬ヶ原までにはそれなりに時間がかかる。早朝登山に有利な山小屋への宿泊は二人以上でないと個室が使えない。つまり相部屋になる。

諸条件を勘案して宿は老神温泉の伍楼閣に。上越新幹線の上毛高原から宿まで無料送迎バス(要予約)で50分。宿から尾瀬入口の鳩待峠まで路線バスと乗り合いタクシーを乗り継いで2時間。荒天で山歩きができない場合も考えある程度クオリティのある温泉宿にしたい。クオリティとは露天風呂が複数あること。鳩待峠に近い戸倉温泉は近さ以外は期待できない。それやこれやで決めたのだ。

*   *   *   *

9月28日午前11時自宅出発。11時15分生田発小田急線各駅停車新宿行に乗車。登戸駅で同22分快速急行新宿行に乗り継ぐ。新宿駅同49分到着。同57分JR中央線快速東京行に乗り換え12時11分東京着。寄り道してはせがわ酒店東京駅グランスタ店を視察し12時40分発上越新幹線Maxたにがわ321号2階に乗車。好天の下13時46分上毛高原着。14時発の宿の送迎バスに乗り15時頃宿の伍楼閣(ごろうかく)に到着である。

チェックインの際に宿の人と話していると私が尾瀬ヶ原に行くと聞いて「車を手配しますか」というので「お願いします」と答える。料金は4000円だという。この時はよくわからなかったが後で調べると路線バスでも3000円以上(往復で)かかるので宿から登山口まで直行なら高くはないなと思った。「お弁当も作っておきましょうか」「お願いします」。なかなか感じのいい宿である。

部屋に荷物を置いて一息つく。建物はやや古い(五階建て)。しっかりしているが堅牢さはない。だが掃除は行き届いている。窓からは向かいの建物が見え格別眺めがいいとは言えない。だが迫りくる山の緑が望めるのでまずまずである。など心の中でケチをつけたり褒めたりしつつ浴衣に着替え館内探訪。短歌の色紙と絵画がそこかしこに飾ってある。入湯のエチケットを歌ったユーモラスな短歌も。独特の雰囲気があるが嫌みではなく宿に落ち着きを与えている。

近所を散歩してみる。老神温泉は「おいがみおんせん」と読む。開湯伝説があるぐらい起源は古く近所にある神社がそれを物語る。温泉街であるが廃業した宿や飲食店も見られその廃墟に昭和を感じる。

3433

宿には内風呂2つに露天風呂が4つある。まずは「岩鏡」に入る。湯はくせがなくぬるめでゆっくり入れる。眺めも良く落ち着ける。うーん、いい。

お湯から上がって夕食。部屋食。たしか5人以上は広間でとることになる。料理を見て蕎麦を薪状に束ねたものを魚で巻いて餡をかけた椀物があり何の魚か仲居さんに尋ねると「あれ、お献立表は?…あ、お客さんは連泊ですね」と言う。連泊の客に同じものを出し続けるわけにはいかないので別メニューを出しているようだ。一応食べてみて「鱈ですかね」と聞くと「あ、そうです」という。そんなわけでメニューを記すがあくまで私の推定である。

・食前酒(梅酒か何か)
・黄身酢に海老とほうれん草とブロッコリーをのせたもの
・お造り(紅鱒、刺身蒟蒻、烏賊) 
・無花果と舞茸と大根細切りにタレをかけたもの
・蕎麦の鱈巻きシメジ添え 
・豚肉と夏野菜の焼き物
・もち豚のレモン塩麹鍋
・天ぷら(茄子、南瓜、さやいんげん)
・御飯
・香の物
・お吸い物

食事は「季節の野菜地産地消ヘルシープラン」で予約していた。たしかに土地のものを活かした料理だがそれだけではないもの。

「無花果と舞茸…」は最初「舞茸」とは気づかなかった。あまりに肉が薄くそれが何層にも重なり合っていて私の知る舞茸とはちがっていた。後で土産物やその見本を見ていて舞茸はこの地の名産であることやかなり肉の薄いものがあることがわかった。鯨の脂身を極薄く切って重ねたようなクニュクニュした食感と舞茸の独特な風味とが相まってなかなか面白い。それに無花果と大根の拍子切りとほうれん草の取り合わせはちょっと私の想像を超えていた。日本料理は「あ、美味しい!」とはならなくても「これ何なんだろう」と考えさせ推理を楽しめるところがある。こちらの料理はまさにそうで創意を感じ楽しむことができるのだ。

お酒は「水芭蕉 純米吟醸」(300ml)を別注文。尾瀬に来てこれを飲まないわけにはいかない。昔飲んだことはあるがたぶん今は代替わりして味はモダン寄りになっているだろう。果たしてそうだった。まずまずの美味しさ。こういうものを揃えているのもこの宿を選んだ理由の一つである。(事前に日本酒の品揃えを宿に電話して確認していた。)

最初はご飯と天ぷらを後からお持ちしますと言われたのだが(日本料理の形としてその順番になる)、私は猛烈にお腹が空いていたので(朝食を9時頃食べたきり宿のサービス饅頭一個と煎餅一枚とお茶しか口にしていなかった)、御飯と天ぷらも一緒に出しちゃってくださいとお願いする。そういうわけで御飯と天ぷらもそろったが、御飯は茶碗が大きめとはいえ盛りが半分ぐらい、つまりは、ご飯一膳分しかない。腹ペコの自分には足りるはずもなく、お代わりができると聞いていたので天ぷらでご飯一膳平らげると内線電話で「御飯お代わり、二杯分ぐらい盛ってください」とお願いした。するときた御飯は二杯分というより三杯分ぐらいに盛ってありけっこう食べるのに苦労…いや食べごたえがあった。

満腹になったので一休み。お酒は一合しか飲んでいなかったが翌日の尾瀬行に備えこの晩は備え早々に床に就いたのだった。

 

*   *   *   *

 

9月29日。尾瀬行きに備え早めの6時起床。露天風呂「赤城の湯」に入る。入る場所により湯温が変わるのがいい。植栽や歌碑も楽しめる。

朝食は昨夜の夕食同様お献立表はない。よって自前でお献立表(推定)を。

・おかゆ
・搾菜(ザーサイ)
・すき焼き
・えぼだい干物
・オムレツ
・揚げ出し豆腐
・シラスおろし
・しめじ醤油煮
・御飯
・味噌汁
・香の物
・野菜サラダ(レタス、ブロッコリー、コーン、カイワレ大根、クルトン)
・ヨーグルト

仲居さんも苦笑の朝からすき焼きだが本日の尾瀬行を慮っての思いやり料理か。味噌汁をその場で炊くやり方は出来立てを味わえるうえ冷めにくいので良いアイディアだ。おかゆ用の搾菜を細かく刻んであるのもきめ細かい心配りだ。

8時50分、宿に作ってもらった弁当を携え一人貸し切り状態のバスに乗り出発。9時30分鳩待峠着。ドライバーさんに料金4000円を請求され「片道4000円?」と思い一瞬驚くが復路の半券付き領収書をもらって安堵。宿の無料送迎バスもそうだがこの辺のバスは観光協会と契約している共用バスのようでその分料金が安いようだ。15時20分に迎えに来るので15時までには山を下りてと言われる。5時間以内に戻らなければならないことになるが大丈夫かとちと心配に。

駐車場から少し登ると鳩待峠休憩所がある。ここが登山口だ。着いたときに風鈴の音?が聞こえたので季節外れなと訝しく思ったがこのあたりは熊が出るらしく熊除けの鈴が必須とのこと。そういうわけで私も急遽売店で鈴を買い求める。ここは至仏山の登山口でもある。当初尾瀬ヶ原散策と至仏山登頂の両方を考えていたが至仏山登山だけでも3時間以上かかるので時間的に無理とみて尾瀬ヶ原行のみとすることに。

*   *   *   *

9時50分鳩待峠から山の鼻に向かう。登山口にある外来生物の種子の流入を防ぐためのマットで靴底をぬぐい山道に入る。足元はふつうの山道と木道である。鳩待峠は尾瀬ヶ原より標高が高いので往路は基本下りである。鳩待峠(1600m)と山の鼻・尾瀬ヶ原(1400m)の標高差200m。(参考までに石巻の牧山が標高247m。)この標高差をおよそ1kmの山道を1時間かけて下る。傾斜はきつくなく無理なく歩ける。段々になっているところも多いので足下に気をつける。

午前中は尾瀬ヶ原に向かう人が多いのですれ違う人は少ない。時折反対側からくる人とすれちがう時に「こんにちは」と挨拶される。みんなそのように声を掛け合っている。どうやら山登りでは出会った人に挨拶するのがルールらしい。初対面の人に敵意のないこと伝えるマナーなのだろう。そういうわけで私も人とすれ違う時には声をかけることに。途中から木道が多くなる。数十メートル間隔で前後に登山者がいる程度の人口密度。年配の方でゆっくり歩いている人がいると「こんにちは」と声をかけつつ追い抜く。このあたりは周囲は樹々と瀬せらぎが交互に現れ目と耳を楽しませてくれる。熊除けの鐘も一定距離ごとに備えられており時折その音が響いてくる。緩やかな下り坂ののどかな山歩きでである。

*  *   *   *

1時間ほどで山の鼻に着く。10時50分。ここが尾瀬ヶ原に出る地点になる。ビジターセンター(売店・休憩所)と至仏山荘という山小屋(宿泊施設)、100人ぐらいは休憩できそうなベンチもあり何人かは早めの昼食をとっていた。空いているスペースにテントを張っている人もいるが誰でも勝手にできるわけではなく予約が必要なようである。

因みにこの日の行程予定は以下の通りである。

鳩待峠→山の鼻:北へ約50分
山の鼻→牛首(うしくび):ほぼ東へ約50分
牛首→竜宮:ほぼ東へ約40分
竜宮→ヨッピ吊り橋:北北西へ約30分
ヨッピ吊り橋→牛首:南南西へ約40分
牛首→山の鼻:ほぼ西へ50分
山の鼻→鳩待峠:南へ60分

(ヤマケイオンラインさんより引用)

入手した地図や案内図の情報を元にしたものだが鳩待峠を出発して戻ってくるまで320分=5時間20分かかる計算。途中に休憩も必要なので多少早めに歩く必要がある。竜宮小屋のトイレは使えないとの告知があったのでトイレを済ませる。トイレはチップ制で100円払うことになっている。誰かがチェックしているわけではなく自発的にチップを箱に入れるシステムで私は最低一か所のトイレに100円は支払うことにする(同じトイレを複数回利用することもある)。

またこちらには至仏山への登山口もあるがそこは「尾瀬研究見本園」の入口にもなっている。看板には次のようにある。
◆  ◆  ◆
尾瀬は我が国が誇る自然の一大宝庫であり、尾瀬ヶ原や尾瀬沼を中心に変化に富んだ植物群落や貴重な動植物が数多く見られます。特に尾瀬ケ原は、東西6km、南北4kmの広さを誇る本州最大の高層湿原で、ミズゴケ類やスゲ類の遺体から成る泥炭が約8000年の歳月を経て堆積し、形成されたものです。
この研究見本園は、尾瀬保護事業の一環として昭和41年に整備されました。春にはミズバショウやリュウキンカ、夏にはニッコウキスゲやカキツバタ、初秋にはキンコウカやオゼミズギクなど尾瀬を代表する様々な植物を見ることができます。研究見本園を一巡して、尾瀬のすばらしさの一端を観察して楽しんでください。(一部略)
◆  ◆  ◆
そういうわけで見本園を覗いてみるとそこにはすでに尾瀬ヶ原のエッセンスともいうべき風景が広がっていた。

*   *   *   *

尾瀬ケ原に出る。11時00分。今回は通常の入り口が木道の補修工事中のため迂回路から入る。はじめは周囲に樹々が迫っているが少しずつ視界が開けてくる。

尾瀬ケ原を東に進む。前方に見えるのは燧ケ岳(ひうちがたけ)、ふりかえれば至仏山(しぶつさん)。左右に「拠水林」(きょすいりん)とその背景にさらに山が連なる。足元は木道。その下には何千年も堆積し続ける枯草、泥炭、小川の水面が広がる。地面からの高さが1m以上になるところもあり常に転落せぬよう気を付けながら歩かねばならない。それでも青空と山々と草紅葉の始まった草原を楽しみながら歩く。(↓たまたま左上にトンボが写っていた。)

木道の足下は枯草の密生から少しずつ池塘(ちとう)が見えてくる。池塘とは「湿原の泥炭層にできる池沼」(wiki)である。高原の湿原に浮かぶように広がる池沼。水面にはヒツジグサの丸い葉が浮かぶ。池塘の水面に映る空の深い青、ヒツジグサの淡い緑、山々の深い緑は尾瀬の湿原の風物を趣深いものにしている。

牛首(うしくび)という分岐点に近づくにつれ赤茶色のシダ植物が目立つようになる。ヤマドリゼンマイというらしい。尾瀬の草紅葉(くさもみじ)の主役である。小川を渡る橋の下に見えるのはバイカモか。


山の鼻から40分ほど歩いた11時40分に牛首分岐到着。牛首とはここから見える山の形が牛の首に似ているからとのことだがどの山なのかな確認できなかった。木道には一定の距離ごとにベンチを備えた休憩スペースが設けられている。ハイカーが休んだり食事したりしている。私はもう少し先の竜宮まで行きそこでお弁当の予定なのでここは一気に通り過ぎる。

尾瀬ケ原の木道は一本道ではあるが一直線ではなく途中でかなり曲折する。湿原全体が大小の池塘でモザイク状に構成されるためだ。途中に木道の補修工事が行われていた。迂回路を通る。木道は計画的に補修・管理しているようだ。歩いた感じでは特に水辺は傷みが激しいようだ。

草紅葉とカバノキの競演。

池塘を見るために設けられた木道の支線を歩いていると足下に鴨が一羽。あまり動物は見かけなかったのでびっくりする。しかもまったく身動きしない。「デコイか?」(狩猟で囮(おとり)に使う鳥の模型)しかし数秒後に身動きしたので本物だと分かる。どうやら餌をあさっているらしく近くにさらに二羽が茂みに頭を突っ込んでいた。私は50cmほどの距離にいたが怖がる風もないので人慣れしているのかもしれない。そこから支線の木道を数メートル行ったこところに「竜宮現象 出口(湧出点)/水の出てくるところ」と表示がある。尾瀬はあちこちで伏流水が湧出しているが水が吸い込まれる地点もある。吸い込まれた水は50mほど先で湧出するのだという。その際水は地中の動植物の遺体や泥炭で自然濾過・浄化されるとともに栄養分を付着させる。尾瀬の豊かさを支える自然のシステムである。「竜宮」の名は昔の人が水の吸い込まれていくようすを見て「竜宮城」とつながっているのではないかと想像したことに由来しているらしい。そんな場所での物静かな鴨との出会いに私も神秘を感じてしまった。

辺りは静かで時折野鳥の囀りが聞こえるぐらい。途中「ニホンジカ被害度調査実施中」の看板があり網で囲われた地帯もある。たしかにニホンジカによる高山植物の食害は耳にしたことがあるし熊もいるのだから静かではあるが動物もしっかり生息しているのだろう。

竜宮到着。12時5分。牛首から約30分。竜宮小屋はトイレが使えないだけでなく閉鎖されていた。ベンチで一休み。宿で作ってもらったお弁当を広げる。大きめのおにぎり2個と焼いた鮭と漬物。お茶までつけてくれた。おにぎりがおいしい。こういう場所で食べるからというのもあるが前夜の夕食をいただいた時点でご飯が美味しいと思っていた。このおにぎりも美味しい。鮭も美味しい。そして満腹。

大阪なおみばりにベンチに寝転び空を見上げる。曇っていたが気持ちの良い眺めだ。隣には本格的な登山装備の若者二名が昼寝していた。

今度はヨッピ吊橋へ向かう。方向は北。このあたりは池塘が少なく草紅葉が目立つ。赤と緑と白の競演。赤トンボもけっこう見える。このあたりは群馬と新潟と福島の三県が県境を接している地域。

12時55分ヨッピ吊橋到着。ヨッピ川にかかっている吊橋である。ここから東には東電小屋があるが今日は牛首に折り返す。

池塘が再び多くなる。近景にヤマドリゼンマイのオレンジ色、遠景にシラカンバ(カバノキ科の広葉樹でシラカバに似るがより高い高度に分布する)の白のコントラスト。リンドウ(エゾリンドウ)の青が鮮やかだ。池塘の中に見られる楊枝を立てたような植物は何なのだろう。

雲も多くなり時間の余裕もなくなってきたので少し歩みを早めつつ草紅葉の中を進む。木道を歩いている時は前に人がいると追い抜くタイミングが難しい。対向者がなく一定の速度で歩いていればすんなりいくがお互い景色を眺めたり写真撮影で立ち止まったりしながらとなるとすんなりいかず気を遣う。それでも水芭蕉やニッコウキスゲが見ごろの混雑期は木道が人で渋滞するらしいのでそれを思えば余裕をもって歩けているのだろう。

山の鼻から鳩待峠への復路は登り坂になるの少し息が切れる。この先の山道は撮影していない。

14時50分鳩待峠に到着。出発時に目をつけていた休憩所の「花豆ソフト」を食べながら息つく。花豆は群馬の名産らしい。やさしい甘さがいいですね。

これでこの日の尾瀬行は終了である。尾瀬ヶ原の気を存分に浴することができた。しかし、…意外に時間が足りなかった。できればもっとゆっくりと歩きたかった。至仏山にも尾瀬沼にも行きたかった。そういう意味では尾瀬には再挑戦したいと思った。それにしても「遥かな尾瀬」という通り尾瀬は行くまでが遠いのである。

15時30分迎えの車に乗り16時15分頃宿に帰還。この日は内風呂「ひうちの湯」で汗を流しゆっくりつかる。18時からの夕食にはあらかじめ日本酒を注文。またご飯を二杯分最初に膳に揃えておいてほしい旨伝える。

この日の夕食献立(推定)。

・食前酒(梅酒の紫蘇ジュース割り)
・先付け(蕗煮物・魚の南蛮漬け・ひじきとアスパラの寄せ物・いちじく梅酢漬け)
・前菜(刺身蒟蒻・大根梅酢漬け・若布酢)
・煮物(茄子・南瓜と・椎茸)
・茶碗蒸し
・鍋(茸入り肉豆腐)
・お造り(帆立・鮪・烏賊)
・天ぷら(南瓜・春菊・赤パプリカ)
・御飯
・御新香
・お吸い物

日本酒「赤城山 純米吟醸」はクラシカルなタイプだが五百万石のコクとキレでまずまずの美味しさ。

御飯はなぜかお櫃(ひつ)で用意されていた。4膳分はある。完食したのでお腹がはち切れそうになった。

 

 

*   *   *   *

 

夢の中の水草原は尾瀬の湿原とは重なるところもあったが基本的には異なっていた。しかし期待していたのとは別の魅力を発見できた。

清澄な山の気。
山上の平原の開放感。
千変万化する水面の神秘。

植物たちが織り成す絵画。
鴨たちとの出会い。
花豆ソフト。

飛ぶ夢は見ない。しかし別の夢は見るかもしれない。

そんなことを思いながら尾瀬行の一日は終わったのである。

 

 

 

 

20200928 老神温泉 伍楼閣

20200929 尾瀬ヶ原

20200929 尾瀬ヶ原 主に水辺

 

 

付記1

老神温泉「伍楼閣」の廊下は畳敷きでスリッパ不使用だが、これは新型コロナ禍以前からのことであるとのこと。なお従業員は全員マスクを着用している。

 

付記2

この日の持ち物リスト(★は新規購入)

★靴(トレッキングシューズ)
●バックパック(リュック)
●マウンテンパーカー
★ウインドブレーカー(携帯用。撥水・透湿。撥水だけで透湿性がないと使用時に蒸れて服がびしょびしょになる。これでは防水・撥水の意味がなくなるので透湿性がある方がよい。)
●靴下(厚手のスポーツソックス)
★帽子(サファリハット。ネット購入。1000円前後。)
●地図(ネットからダウンロードしてプリントアウト。因みに尾瀬ヶ原では携帯の電波は届いたがWiFiは圏外。)
★コンパス(方位磁石。100円ショップ)
●時計(デジタル。金属製ではない。)
●ゴミ袋(尾瀬の自然を守るためゴミは持ち帰り。ほかの山も本来そうなのだろうが。)
●水(ペットボトル)
●ハンカチ
●テイッシュ
●メモ帳・筆記具
●タオル(マフラーにも使える)
●着替え(下着)
●携帯
●財布
●保険証
●マスク(感染症対策)
●カメラ
●タブレット
●充電機

(下記は用意したが不使用。)

★トレッキングポール(杖、折りたたみ可。ネット購入も出発日まで届かず。尾瀬ヶ原では不要。またポールを湿地に直接突き刺すことは禁止されている。)
★ヘッドランプ(ネット購入。1000円前後。交換用電池含む。)
★雨具(携帯用合羽)
★傘(超軽量折りたたみ。ネット購入。1500円前後。)
●非常食(カロリーメイト1箱)
●防寒具(ユニクロのウルトラライトダウン)
●防寒用シャツとタイツ
●ネックウォーマー
●手袋(ニット)


付記3
池塘(ちとう)についてwikiにはさらに次のようにある。
◆  ◆  ◆
高層湿原が形成される過程において、堆積した泥炭層の隙間が水で涵養された部分ができる。これが池塘であり、周囲とは隔絶された環境であるため、独特の生物相ができる。池塘と池塘の間は地上、地下の水路でつながり、時に泥炭層の一部が浮島として浮遊することもある。
◆  ◆  ◆(wikipedia「池塘」より引用…20201004 20:06閲覧)


付記4
尾瀬ダム計画と日本の自然保護

尾瀬にはかつて「尾瀬ダム計画」が存在し完成すれば尾瀬は完全に水没するはずだった。しかし「自然保護の観点、及び流域都県の水利権についての利害対立により反対意見が噴出し、1966年以降計画は凍結された。事業主体の東京電力も最終的にダム計画を完全に断念し、1996年には尾瀬沼の水利権のうち尾瀬原ダムに関連する部分を放棄している。/この尾瀬原ダム計画を機に、日本の組織的な自然保護運動が誕生した。」現在東京電力は尾瀬の保護に大きな役割を果たしているがここに至るまでに以上のような経緯があったのである。(wikipedia「尾瀬原ダム計画」より引用 …20201005閲覧)


付記5
最近つぶやいた曲

Lady Gaga - 911 (Official Music Video)

Taylor Swift - betty (Live from the 2020 Academy of Country Music Awards)

 


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