8月12日(金)は、ワクチン4回目接種、
翌朝の3時熱が出始めた。 家内が副作用のセンターへ電話「もう一日様子を見てください」
翌日も下がらない、頭の激痛、夕方センターへ電話した。
「もう一日様子を見てください、その具合でかかれる病院を探してもらいますから」
頭痛が治まらない、 11時前「救急車呼んでくれ!」と叫んだ。
「病院探すまで時間かかりますよ」と玄関に座った隊員さん。 かかりつけの大病院、一発で受け入れてくれた、すごいことだと言われた。
検査やら何やら即入院が決まった、肺炎も起こしていた。翌日も原因分からず熱下がらず
入院二日後やっと下がって来て1週間で退院できた。
その夜中末の妹から義母の容体が・窓からでも会えるからと言われた「よし、明日帰省しよう」
長女に電話したら12時に迎えに行く。 自分は体力もないので運転はとても。
4時間半で病院へ、1時間くらいいた。 三年振りの帰省である、義母を見舞い、部屋見舞いが許された妹が毎日見舞い、1時間をかけて
義母に話しかけていた。 寝てばかりいるように思うが、看護師さんは「聞こえていますよ」と言う。
兄嫁さんやいもうとの旦那さん、息子にも会えた。 個室の窓は全面総ガラス張り、カーテンをあければ部屋全体が見える。
長女がスケッチブックに筆談で書いた。 目をあけて気が付いたかのように見えた。
大阪でお墓の花を二件分用意して、車に積んで帰った。
家内の実家のお墓参りをし、僕の実家の墓参りをし兄貴夫婦に会った。
三年間、帰れなかったがいざとなったらとんぼ返りが出来るのだ、 広島の地三時間滞在、7時には大阪へ向けて出発した。
8月6日(土)家内の実家の兄嫁さんが姉妹四人とのグループラインをビデオ電話で開いた。
その時義母はみんなの顔が分かっていた。 まるで虫の知らせか。 その四日後食べなくなって入院した。
8月26日 0:38 享年100歳 大往生
義母 末妹が病院へ泊まってくれた 夜中 妹に看取られ永遠の眠りについた
コロナ過 家族葬で人数制限が有り お別れに参列できなかった
何があったか分かりませんでした。
ワクチンで、こんなことになるんですね。
ほんとひどい目にあいましたね。
でも、けんつくさんの体をよく知ってる先生に
診てもらえたのもラッキーでしたね。
そして、回復してすぐに義母さんに会えに行けたし、
それも、ラッキーだったと思いますよ。
100歳
大往生ですね。
ご本人も、みんなに見てもらっていて
ほんとうに、お幸せだったと思いますよ。
謹んで、お冥福をお祈り申し上げます。
40℃近くの熱にうなされるので 4人部屋だとうめき声で迷惑か掛かるので
1万6千円の個室に渋々入ることにした
頭も痛いけど 入院費もイタイ
お袋さん 10日ほど前には意識もしっかりして 娘たちと話しができた
人間亡くなる少し前は 不思議な事にしっかりする 最後の生命力ですね
過去に5人の最後の生命力に 言葉を交わすことができた 逆に電話をくれたり
見舞いにいったとき 最後の力をだしてくれて 口と目が動いたように見えた
昔慰安旅行で北海道にいっているとき
なんのきなしに昼に家内に電話
泣き泣きお父さんが 海に落ちて亡くなった
お父さんと 亡くなる2ヶ月前に僕の病気の心配をして電話くれた兄貴が
待ってくれていますよ
お袋さんが口ぐせのように言っていた
義姉に良くしてもらって 「幸せじゃ」
大往生 行ってらっしゃい
無理して帰って来てよかったです