希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車101

2010-02-15 14:23:30 | 日記
自(みずか)らの生命の可能性を、信じられるか、どうか・・。

これは、生きて行くうえで、重要な問題となってくる。

はたして、自分の生命の可能性を、どこまで信じられるか・・?
これが、人生だと、言うこともできます。

人は、当然、自分の生命の可能性を信じ、行動し挑戦している。そして、自分の幸せに向かって生きている。けれど、すべてが、うまくいくようなことは、まず、ないと思う。さまざまな障害(しょうがい)の中で、また、荒波(あらなみ)に、もまれて、そのなかで、自分の生命の可能性が、削(けず)られていくような思いを、することもあるかもしれない。また、そんな自分の生命の可能性など、考えられなくなっていく場合も、あると思う。

それでも、人生は過ぎ去っていき、自分の生命の可能性など、忘れ去った人生になってしまうことも、あるかもしれない。

けれど、それでは、あまりにも、かわいそうだ・・・。

自(みずか)らの生命の可能性を、信じられるか、どうか・・!
これは、幸福になれるか、なれないかの、実は、最も大切な問題になってくる。

その自分の生命の可能性を、信じること自体が、自分の人生において、最高の幸せを、つかむことに、直結(ちょっけつ)していくからです。

だから、結局、自(みずか)らの生命の可能性を、どれだけ、信じられるかが、自分の幸不幸を決定する重要な鍵(かぎ)となっていきます。

もし、自分の生命の可能性を、最高に信じることが、できたら、それは、最高の幸せを勝ち取ることに、つながっていくからです。

その自らの生命の可能性を、最高最大に、しかも無限に信じる行為が、実は、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。

この創価学会が、実践している南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰は、自らの生命の可能性を信じ、開く、鍵(かぎ)なんです!自らの生命の可能性を信じ、開く究極(きゅうきょく)の方法が、『ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえる!』ということなんです。

(ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自身の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわしたものが、ご本尊です。)

そのご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえるとき、自分自身の中にある最高の可能性のドアが開(あ)き、自分の中にある生命の宝が、見えてくるんです。そしてそれは、自分の生命の中の最高の可能性を信じることに直結し、やがてそれは、さまざなな夢や希望をかなえたり、悩みや問題を解決することに、つながっていき、人生を、勝利し、幸福になっていけるんです!

その、自分自身の生命の可能性を、信じ、開く、究極にして最高の方法が、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!


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