希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車115

2010-04-03 22:48:43 | 日記
すべての人は、『仏法(ぶっぽう)』を、求(もと)めている。

けれど、仏法というと、わからない。

人が望むもの・・ 、人が、求めるもの・・。

それは、幸せであり、希望であり、安らぎであり、調和である。

音楽にしても、映画にしても、文学にしても、さまざまな文化にしても、人は、自分が感動し、気持ちよくなり、心が安(やす)らかになるものを、求めて、それらの音楽や映画や、スポーツや趣味によって、それらの自分の人生にとって、プラスとなるもの・・。すなわち、希望や調和、勇気や挑戦する心を、高めようとする。

すなわち、それらは、すべて生きる喜び、幸せに向かうものであり、それらの生きる喜びを求めて、さまざまなことを、やっている。

では、音楽にしても、映画にしても、文学にしても、さまざまな文化にしても、それらは、いったい、何を求めているんだろうか・・・?

それは、当然、幸せを求めている。その表現の結果が、感動であったり、勇気であったり、安らぎであったり調和であったりする。

実は、それらの人々が求めている、感動や安らぎ、希望や勇気、調和とかいうものは、『仏法のエッセンス』の一分(いちぶん)であり、生きる喜びのすべてが、『仏法』の中にあるんです。

だから、さまざまな音楽にしても、映画にしても、文学や、さまざまな文化にしても、生きる喜びという、『仏法のエッセンス』の一部分(いちぶぶん)を、求めて、ちまなこになっている!と言うこともできます。

それら、感動や勇気、希望や調和、安らぎなどの、人間が幸せになるために、欲(ほ)しくて欲しくて、しょうがないもの・・・。

その人間が、本源的(ほんげんてき)に求めているものの、本当の姿(すがた)であり、究極(きゅうきょく)の幸せの姿が、実は、創価学会が実践する『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)』なんです。

だから、本当は、音楽にしても映画にしても文学にしても、あらゆる文化が、究極的に求めているのは、『仏法(ぶっぽう)』なんです。

はっきり言えば、人間は、仏法を求め、仏法に向かって、模索(もさく)し、それを、つかもうとしているんです。

ところが、『仏法(ぶっぽう)』と聞くと、そっぽを向く。まさか・・仏法が、自分が求めているものだとは、考えもつかないからです。

だから、人々は、必死で仏法を求め、仏法を、つかもうとしているのに、自分が、つかもうとして模索(もさく)している幸せが、まさか、仏法にあるとは、考えられず、結局、自分が欲(ほ)しがっている幸せを、つかめず、人生を終わってしまう。それが、多くの人たちの人生だと言うことも、できます。

だから、その『仏法』に対する偏見(へんけん)を打ち破(やぶ)り、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を求め、実践していったとき、自分のあらゆる悩みや問題が、解決でき、さまざまや希望や夢を、かなえていけるようになっていく。そして最終的に、これ以上ない!と言える幸せと勝利の、最高に満足のいく人生を、おくることができる!!

それが、すべての人が求めている、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる『仏法』です。


だから、ほんとうは、すべての人が、『仏法』を、求めている。

音楽にしろ、映画にしろ、文学にしろ、さまざまな芸術にしろ文化にしても、すべては『仏法』を目指(めざ)し、仏法に近づこうと進んでいる。

人間のいとなみの、すべては、仏法に近づこう!仏法に近づこう!として模索(もさく)している。

人間は、『仏法(ぶっぽう)』が、ほしいんです!!!『仏法』を求(もと)めて求めて求め抜いているんです。

けれど、自分が求めている幸せが、『仏法』であるとは、まさか、気づかない・・・。

だから、自分が望む本当の幸せを、つかめないまま、人生を、終わってしまう。

だから、勇気を出してほしいと思う。

仏法は、そこにある・・!

過去の時代から、あらゆる人が、求めて求めて、欲(ほ)しがっていた最高の幸せは、実は、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の中に、あるんです!

だから、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を、つかんでほしい!!

そこに、すべての人が望む、あなたが望む、すべての幸せが、あるからです・・・!


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