希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車260

2012-04-26 19:43:19 | 日記
日本にキリスト教を広めたことで知られている、フランシスコ・ザビエルは、日本で仏教の僧侶(そうりょ)たちの生活を見て、その自堕落(じだらく)な生活に、驚(おどろ)きを覚(おぼ)える。そして、書簡(しょかん)の中で語っています。

『坊(ぼう)さんよりも、世間の人の方が、正しい生活をしている。それでいて、相変(あいか)わらず坊(ぼう)さんが尊敬(そんけい)されているのは、驚(おどろ)くべきことだ。』


キリスト教にも多くの欠点と弊害(へいがい)があり、決して勧(すす)められるようなものではないけれど、このフランシスコ・ザビエルの仏教の僧侶(そうりょ)に対する書簡(しょかん)には、真実が込(こ)められていると思います。

フランシスコ・ザビエルは、その仏教の僧侶(そうりょ)たちの腐敗(ふはい)から、形骸化(けいがいか)した仏教の欺瞞(ぎまん)と没落(ぼつらく)を感じとっていた!

それは、現代でも通じることであり、同じようなことが言えると思います・・。

なんの根拠(こんきょ)も確信もない葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、また、神社信仰にしても、同じです。それは、ひとつの商売として認(みと)められているのかもしれませんが、そこに宗教としての、人々を幸せにしていく力(ちから)や結果が伴(ともな)うことはない。

だれも、心の底から信じている人などいないけれど、かといって宗教なのだから、きっと良いものなのだろうと、拝(おが)んだり、祈ったりしている。それは、レジャーであり、遊びと同じなのかもしれない。

けれど、ここに人々を不幸にする大きな問題が潜(ひそ)んでいる。

それは、間違(まちが)った宗教は、人々を不幸にしてしまう!ということです。

でたらめな間違った宗教に祈るということは、そのデタラメな間違った宗教に、自分の人生と生命を、ゆだねるのと同じです。間違ったデタラメな宗教に自分の人生を、ゆだねていけば、当然、自分の人生は、デタラメな間違った人生、すなわち「不幸」が、さまざまな形で、もたらされる。

また、間違ったデタラメな宗教に祈るということは、間違ったデタラメな宗教に、自分の生命をささげていくことにもなるので、その通りの影響(えいきょう)を受け、自分の生命は、間違ったデタラメなものとなり、すなわち、さまざまな形で不健康となり病気となる原因(げんいん)になっていく。

それが、間違ったデタラメな宗教というものです。

そして、その間違ったデタラメな宗教が、フランシスコ・ザビエルが批判(ひはん)したように、日本の葬式仏教(そうしきぶっきょう)であり、観光宗教であり、また神社信仰でもあります。

それらが幸せをもたらすことはなく、間違った宗教であるがゆえに、逆に必ず、さまざまな形で不幸をもたらしてしまう。

ここに、不幸を生む大きな盲点(もうてん)があり、どんな優秀な人間でも、またエリートと言われる人たちであっても、そのことには気づかず、自分に降(ふ)りかかってきた、さまざまな不幸に関して、ただ、悩み、苦しむだけで、人生が過(す)ぎていく・・。


宗教は、本当は、幸不幸を決定づける根幹(こんかん)の部分を占(し)めている。

人は、物質的なこと、表面的なことには、すぐ気づくけれど、幸不幸をつかさどる宗教にかんしては、まったくもって、関心をもたない。

たとえば、自分の住んでいるマンションに安全面や耐震(たいしん)などで、問題があれば、すぐにでも、そんなマンションは返上(へんじょう)して、他の安全なマンションに住もうとする。

けれど、自分が今までかかわってきた宗教、あるいは先祖から受け継(つ)がれている宗教が、間違ったデタラメな宗教だとしても、そんなことには興味(きょうみ)を示さず、本当の宗教を求めようとはしない・・・。

けれど、それは、耐震に問題があるマンションが、なにかの災害(さいがい)で、あっというまに崩(くず)れさってしまうように、自分が受け継(つ)いでいる宗教や、かかわってきた宗教が、間違った宗教である場合、それは、マンションどころか、自分の人生や生命そのものを、倒壊(とうかい)させる結果になってしまう。


・・不幸の根源(こんげん)には、間違った宗教がある!

人は、そのことに、早く、早く、気づくべきです・・。
そして、その不幸を打ち破(やぶ)ることのできる、真実に幸せを築(きず)いていける宗教を、求めるべきです。

問題は、その本当に幸せをもたらすことのできる宗教、現実に結果が明確(めいかく)に出る、悩みや問題を解決でき、夢や希望をかなえていける大きな力(ちから)となる宗教があるのか・・ということです。

そして、その必ず幸せをつかんでいける、あらゆる悩みを解決していけ、困難(こんなん)や障害(しょうがい)を乗り越(こ)えて現実に幸せを勝ち取っていける宗教が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰です。


本当は、人生を、安全に、幸せに、最高に勝利していく上で、宗教ほど、大切で重要なものはない・・!

耐震(たいしん)や安全に問題があるマンションだとわかったら、すぐにでも、他の安全なマンションに住もうとするように、自分のかかわってきた宗教が間違ったものであるならば、すぐにでも、その間違った宗教を捨て、正しい、真に人々を幸せにしていける宗教につくべきです。

さきほども言いましたが、世間一般に広められている葬式仏教にしても、観光宗教にしても、神社信仰にしても、それらは、明らかに間違った宗教であり、間違っているがゆえに、必ず弊害(へいがい)があり、さまざまな形で不幸が出現してきてしまう。また、過去世(かこせ/過去に自分が生きてきた時代)に、自分が間違った宗教にかかわってきた可能性も高く、そのために、現在、さまざまな不幸や運命的な苦しみを味(あじ)わっていることも、多いと思う。

それらの不幸を打ち破る、唯一(ゆいいつ)の秘宝(ひほう)と言えるのが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

太陽が昇(のぼ)った後は、つゆや水滴(すいてき)は、あっというまに消え失(う)せてしまうように、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰は、その人がもつ、さまざまな、あらゆる不幸や悩み、苦しみを消し去(さ)っていく力(ちから)があるんです。そして、幸せを勝ち取っていける。


宗教は、人生と生命における根幹(こんかん)の部分を占(し)めている。

そして、その根幹の部分に絶対に間違(まちが)いのない、必ず、幸せと勝利をもたらしていける、悩みや問題を解決していける、生命を支(ささ)える太陽のような宗教が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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