「世間とズレちゃうのはしょうがない」2020/10/14
養老孟司(著)、伊集院光(著)
養老先生と伊集院さんの対談の本です。
読んでいてとてもわかりやすく、面白かったです。
養老先生は、自分が世間からズレていると自覚したのがわりと早かったし
自分に何が向いていないのかもわかっていたから
大学では解剖学を選んだそうです。
伊集院さんは子供の頃、体が大きいことで目立っていたので
いつ自分がイジメの対象になるかとビクビクしていたそうです。
常に周りの様子をうかがって合わせて過ごしていたんですね...
今思うと、私もかなり世間からズレた子供だったのではないかなあ?
しょっちゅう忘れ物はする、回りに合わせられない、思ったことを口に出してしまうとか..
いかんせん私は、養老先生や伊集院さんのように、頭がよかったわけではないので
子供時代はお2人のように状況判断ができませんでしたので
イジメの対象になったこともあります。
そこからは必死になって、メモをとったり、よけいなことは言葉に出さないなど
努力はしてきたつもりですが、まあ、なかなかうまくいかないときもありましたね(泣)
本文の中で感動した箇所がありましたので紹介します。
(本文より)
養老:解剖を終えて、遺族にお骨を返しに行くときのことですね。
東大の赤門を出たんですよ。白木の箱に収めた骨壺の中にお骨が入っているんだよ。
そのお骨が突然、動き出してガタガタガタガタ。はっと立ち止まるわけですよ。
僕が揺すったわけじゃないから。
それでまず何を思ったかというと、「このお骨は泣いてるのかな。笑ってるのかな」。
お骨を遺族に返しに行くと分かるんだけど、歓迎されるお骨と歓迎されないお骨あるんですよ。
分かるでしょ?解剖に回される遺体って、たとえば都会で孤独に死んだ人たちですよ。
そうすると、故郷ではお骨を返されても迷惑だったりするんだよね。
死んだから引き取ってやろうと思う人もいるかもしれないけど。
だから「泣いてるのかな、笑ってるのかな」と思ったんです。
つまり帰りたいのか、帰りたくないのか。返しに行く前、町田に住むご遺族に電話したんです。
品のいい年配の女性が出られて「近くまで来たら孫が迎えに行きますから」と言われたので
このお骨は旦那さんだなと思いました。それで町田まで行ったんですよ。
きょうは天気はいいし気分がいいから「お骨は笑ったに違いない」と思って。
(本文終わり)
実はお骨はその女性の息子さんのもので
息子さんは生まれたときから障害があって、ずっと国のお世話になっていたので
せめて死んでからお役に立てればと、本人の遺言で献体をされたとのこと。
(本文より)
養老:解剖するのに1年間ほどお預かりしたから
1年経って久しぶりに自宅に帰ることがことができる。
「ああ、あれはうれしくて笑ったに違いない」と思いました。
最初はびっくりしましたよ。
伊集院:すごくいい話ですね。……でもちょっと待ってください。
解剖学をやりながら「このお骨は笑ってる」という感覚って同居できるんですか?
養老:そこにはもう1つ解釈があって、お骨が共振するということなんですね。
音叉の論理ですよ。同じ音叉を並べておいて、こっちを叩いたらあっちが勝手に鳴りだすでしょ。
あれですよ。大型トラックがそばの道路を通って、お骨が固有振動を起こしたと。
伊集院:そっちは分かります。そっちはさも先生が話されるような内容だと思います(笑)。
でも「お骨が喜んで笑っている」ということと、
この骨はカルシウムでできている物質だみたいなことは両立するんでしょうか。
養老:そうですね。それが両立するようになったんです。
伊集院:なぜですか⁉
養老:だって、お互い排除するわけじゃないですからね。
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養老:幽霊っているんだよね。だっていなきゃ言葉にならないでしょ。
頭の中にいるんですよ。それは間違いない。だから世界中にいますよ。
「外にいる」と言いだすから変なことになるわけです。
頭の中には間違いなくいるだろうという話。
だから「幽霊をみたから」と大急ぎで逃げて、転んで足の骨を折ったりするわけです。
そういうとき、「幽霊は現実だ」と言えるでしょ。
伊集院:ふむふむ
養老:「幽霊はいます」でいいじゃん。幽霊の絵だってたくさんあるよ。
☆感想☆
「お骨が笑っている」っていう表現がとても素敵で
養老先生からこの言葉が出るとは、思ってもみませんでした。
もっと、こうドライな方なのかなあって勝手に思っていました。
固有振動で、お骨がガタガタ音をたてていたかもしれないし
本当に笑っていたかもしれない..
笑っていたらいいなあと私は思います🌸
あと、幽霊は頭の中にいるってのもなるほどね...
幽霊の絵ってどういう発想で描いたんでしょうね?
みんな想像なのか、実は見たことがあるとか(≧∇≦)
猫の幽霊だったら会ってみたいのですよ😸👻🙀
白黒つけるより、あいまいな部分も必要ではないでしょうか?
それでうまくいくならいいんじゃないってぐらいなほうが、楽のような気がします。