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花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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暑かったり、、寒かったり、、ゴールデン連休までは油断できない札幌の気まぐれ天気!

2024年04月18日 | 日記
昨日は17度c、、、
    風が強い中、、、家
        中の布団とシーツ、、
           毛布をベランダに干しました。

     袢纏などは、風にあおられて、ひらひら、、はたはた、、、落ち付きませんが、
        ワタボコリも飛んでゆきそうです。

洗濯物も、、てんこ盛りに干しました。
    風が有ると、、、意外に早く乾きます。

   昼は20度cを上回ったり、、、していても、、、
         夜は一桁の札幌の春もどき?
            櫻も、、、ちょびちょび、、咲き始めたとか?

         窓の内側に、、防寒用のビニール袋を張ってあるので
             外が温かくなっても、、、部屋の中は、、簡単には外気に左右されません。


      部屋の中の方が寒かったりするので、、、一日庭仕事をした。

     歳をとると、、、TVの前に座ることが多くなるので
    庭の仕事を入れるように、、、筋肉を落さない様に

    気合を入れて、、、しんどいと思えるまで、、労働をすることにしている。

  冬の名残の乾燥した落ち葉が、、40リットルのゴミ袋に、、、3個も集まった。

  雪囲いのテープを鋏で切りながら、、、
         新芽や花芽がすでに、、
            開花マジカニ思えるほど
               ツツジの花が、、、出番を待っている!!(^^9

  花芽を残して、、、隣接する木枝に向かって
           戦闘準備の枝葉を剪定してゆくと、、、
              花の咲く木々は、、、
               穏やかな、、
                おっとりした花のマッスに
                        咲いてくれる。

   花のつぼみが淑女のように柔らかく見えるから、、、
          剪定の仕事は結構楽しい。
            

    大學時代、、、お茶の水にキャンパスが有ったので、、、

     ちょっとした時間を

     YWCAの生け花クラスや、、、料理教室に、、顔を出しては

      大学の友達以外の女性友達と趣味を共有して
           理科系にありがちな、、、過緊張の気分を和らげていた。
          若き日の登山の旅で、落ちてた種や、松ぼっくりから

            小さな苗に育って来て、、、いつの間にか、、屋根の高さにまで育ってしまう。
          
        庭の手入れは、、、全部自分でしながら、、、とても楽しい。

         昨日は、、堅い緑の蕾だったツツジが、、
                赤く色づいて、、ふっくらとして来た。

      植物と話をしながら、、、剪定すると、、、植物の方も答えてくれて、、、

     レンゲツツジ、、、紫ツツジ、、枝いっぱい花が咲きそうになって来た。

     去年、スズメバチが、、、軒下に巣を造り、、駆除するのに数万円かかってしまった事もあり

              残念だけれど、、、藤の花の木を、バッサリと、、、根元から切ってしまった。

                歳をとると、、、マメ科の植物には、、、負けてしまうので

                   草藤も、、、どんどん少なくなるまで切ってしまうが

                      マメ科の植物の繁殖には、、、とても勝てない。

       ロシヤには甘草というマメ科の植物が繁茂する時代があったそうですね。

                漢方薬に使うというので、、、多くの人が甘草を採集するのですが
                    甘草は一向に無くならないと、、、何かの本で読んだことが有りますが

           今はどうなのでしょうね、、、?

              化学薬品が多くなった時代ですから、、、
                案外、、、
                  ぼうぼうと、
                     甘草の原野が
                        続いているかもしれませんね。

        先日のNHKの番組で「冬虫夏草 」という、、、

             虫の頭にキノコが生えた 、、漢方薬の材料になるものを集めている番組を見た。

               チベット高原で、、0度近い厳寒のなかで、、、集めていた。

            40歳を過ぎた頃、、、漢方学に夢中になっていた頃

            中国の4大中医学院のゼミに出席のあと、、、

                成都の生薬市場に立ち寄った。

              1000軒もあろうかと思われるほど

                チベットあたりから、、
                    籠で担いできた生薬を
                       買い取って売っている屋台が繋がった
                                    市場に行った。 

             圧巻の眺めだった。、、、来てよかったと、、、旅の疲れが吹っ飛んだ。

             桂皮(皆さんおなじみのシナモンの木の皮)なども、、、
            バットのような大きな物が売りに出されていて

              格安なのに、、、

             シナモンの香りが高く香しく香り
                         最上の物が、、
                    日本円で、、、100円ほどで買えた。

               霊芝なども、、、5本で、、100円とか、、、
                         圧倒的な安さだった

                 私が、紀伊国屋文左衛門の長女だと仮定したら、、、

                    国際貿易で、、「薬用植物、材料舟」など,、、、で

                     正倉院の薬物も、、びっくり、、、というほど

                      中国や、、チベットの奥地と交易を始めたかもしれませんね。

                商売をするセンスも、、、
                       商魂も、、、
                         損得に鈍感な、、、
                            音楽家の母の影響にしては

                  祖父の影響かもしれませんが
                     祖父は、串本の坂本薬局の血筋を持っていて

                        戦後の疎開先の西洋館の自宅の周りは

                       薬草がイッパイでした!!!。

                  昭和20年の頃は、、、ケシの花も、、あちこちに咲いていて

                  和足が4~5歳の時には、、、、
                      駐在所が、
                         ケシの花を
                            抜いて回ることを始めた頃でした。

               父は、疎開先の村人から、、薬草を植える土地を提供していただき、、
               当時は、、簡単に手に入らない、、、手術用の薬草なども

                 駐在さんに届けを出して、、、アメリカから、、苗木を取り寄せては

                     栽培していましたね。

                 今ではどこの庭にも、、、見られる「digitalisプルプレァ」の
                   ホタルブクロによく似た花など

                  利尿剤や、、いろいろな使い方をしていましたね。

                 薬の効力を「カエルを使って、、、」、、
                   八木式というのでしょうか、、、心臓だけ取り出して

                     大循環のカニューレ付の、、、ガラス管を使って

                       薬の実験をしていましたね。

                   我が家には、、、ガスバーナーと、、、
                 ガラス管の大小、、、長短、、いろいろ挿したゴルフバックの様なものが

                  診療所の中の、クスリ棚と机の所に置いてありましたね。

                 子供の頃、、、アンプル(注射液を入れるミニビン?)の作り方を真似して

                  ガラス管の切り落とした物を、、、おもちゃにして、、

                    一日ガスバーナーと、、、遊んでいたこともありました。

                  成都の市場では、、、そのころ、、我が家の倉庫に置いてあった薬草が

                 風呂桶のような籠にいっぱい入っているのを見た時

                 戦争に行った戦場の医師たちは、、、現地で薬になるものを見つけては

                 野戦病院で使っていたのかもしれませんね。

               父は、、イギリス医学を習得した外科医で、、西洋医学の医師でしたが、、

                漢方薬のことは、、、博士並みに,、、能く知っていましたね。

                ぜんそくの薬が手に入りにくい戦後は

                シオンの花を栽培したと言っていました。

                 椿の花からは、、、油をとり、、、柘榴の木からは,、、柘榴皮を採集したそうです。

                南紀の山奥の疎開地の思い出と、、
                 成都の薬草市場のオジサンたちが、、、
                   私の記憶の中で、、、同じ民族のようにさえ、、、思えてくるのですよね。

                

        
              

                
                 旅先でなければ、、、リヤカー一杯ほど,、買ったかもしれないほど

                  当時のチベットの原野からの薬草が、、、格安で、、販売されていた。

             ペトリという、、カメラを持っていたので、、、フイルムに記録して帰国したのでした。

              そのころ、、北大の聴講生として植物園の吉田先生に

              植物の栽培方法の、、実学を学んでいたので、、、

               チベットからの生薬市場の写真を、、全部、、先生に差し上げた。

               その一部だけを、、京都大学の生薬学の先生が座長をされていた東洋医学会に
               ポスタ-セッションとして 、学会発表をしましたが、、、

               文章にするのは控えました。

              吉田先生はその後、、医療大学の植物園長になられて

               多くの学生の為に、、チベットからの資料は生かしてくれたに違いありません。

             薬用植物学の実学で、、吉田先生ほど、、気さくで、、

             ヒマラヤなども、、歩き回っていた実学の、隠れたすごい先生は

             私にとっても、、、良い影響を、、与えていただきましたね。

           「KIKOサンよ~~、、いいもの見せてやろうか?」

               今度はどんな珍しい植物なのかな?と期待していると

               「このコケはナ、、ヒマラヤ登山に行ったときに

                  此処からは、、植物が生えてないという、、、堺目に遭った植物じゃ!」

             感動しましたね、、、

             貴重な植物などは、、、研究されている先生方に

                どんどん提供されて、、、ご本人は、、欲がない先生でしたね。

              先生には、、対馬に誘っていただき、、、

            「KIKOさんよ~~、、対馬は500メートルくらいの山だから、、

               楽々だよ、」

              植物園のお仲間や、大学の植物園の研究者の皆さんに同行して

                対馬では「椿の原種」に出逢いましたね。

               山椒の木も、、独特なものでしたね。

              島の植物というのは、、交配が、島の中だけで繰り返されるので
                 雑種が少なくて、、、植物探索としては、、、面白かったですね。

               ズックで行ったこともあり、、、すぐ上は岩山ばかりで 

               足の裏が痛くて、、たまらなかったですね。

               500メートルの山だからと言って、、、
                    登山靴以外は履かないようにした方が良かったと

                     ひりひりする足の裏をさすりながら、、、

                  吉田先生の足元を見ると、、

                 本格的な登山靴に、岩山登山用の一式を背負っていたのには

                さすがだと思いましたね。

                世界らんの花の展示会を始められたり、、、未だ、、観光用の道路がない時代に

               マチュピチュに、、コカの研究などに行かれていた、、先生は

                吉田先生の「足で集める生薬の植物原料の秀逸な貴重品を
                         簡単に提供してくれるので、、、

                            研究者は、、助かった居るんだよ、、、」

                 吉田先生の足で集める貴重な生薬に、、、

                     知る人ぞ知る、、、本院の自覚していない実力に
                      皆、、栽培のヒントをいただいたものです。

               君子欄の花の咲かせ方も、、、実は、、吉田先生に教えてもらったのですよね。

                個人的には知らなくても、、、聴講生だった、、私の質問には

                 実際の栽培を見せてくれながら、、教えてくれましてね。。。

                   対馬の椿の原種は、、、40年間の間に、、、2回しか、、花が咲かないのですよ。

                   ふと、、、花の季節になると

                  土いじりに明け暮れていた、、、吉田先生の、、栽培方法を

                  見学に行っていた事を思い出す根ですよね。

            
                

    雨雨フレフレ,、、もっと降れ、、、私の花友、、、連れてこい~~~

      八代亜紀さんが、、、歌っていた歌を、、、ふと思い出しました。

       私のような、、、理科系女性とは違って、、、、華やかな👯でしたね、、、

         子供達まで、、、矢代さんの手真似しながら

          「雨雨,、、フレフレ,、、もっと降れ~~~」と、傘を振り回しながら、、、

       おばさん∻~~おはよう!!、、「いってらっしゃ~~い」と

       通学路が、家の前なので、、、挨拶していた子供たちが

          いつの間にか社会人いなって、、、独立して、、通らなくなった。

              新しい家に越してきた、、、若夫婦の所のボクちゃんが、、、

              「行ってきま~~す~~!」と、手を振ってくれる。

           世代が確実に代ってゆくのを感じながら、、、

            お爺さんになった、、、ダンナさんンと、、、

            お婆さんになった、、、私には、

           若き日と同じように、、、今年の一年生が通学してゆく姿を、、見送りながら、、

             50歳を過ぎた息子達の、、、幼い時を、、、想い出しながら、、、

                  時の流れの速さには、、、驚かされてしまいます。

                     孫たち3人は、、、大学生ですからね、、、

                 結婚出産は、、、嫁さんに受け継がれて、、、孫の時代になり、、、

                    この、、孫たちは、、、全員、、また次の世代を育てていくだろうね、、、

                    世界での戦争を早く終結させてください、、、

                    自然のままの、、当たり前のように繰り返される世代交代こそ


   
                     地球上のすべての生き物の共通項ですから

                     その,、、、、あたり前に観える事こそ、

                      もっとも人間らしい世界の幸せの形だと

                        気が付くように、、、原点を大切にする世界の国家群になってょし居ですね。

                イラクモ、、イランも、、、目を覚ましてほしいですね。

                戦争は、、、何も生み出さないと、、、わかっているのですから。、
 
                   
            

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